2010年12月18日

英霊の御遺骨と御遺品を掘り出しお迎え(沖縄にて)1日目

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 12月14日のブログ記事「大東亜戦争当時の御遺骨収集(沖縄)に四日間参加して参ります。」に書いた通り、英霊の御遺骨と御遺品を密林の中から探し出して、お迎えするべく、今朝から四日間、沖縄にて作業開始です!

 今朝は4時起きで6時過ぎの羽田発の飛行機に乗り、9時過ぎに那覇空港に到着。林英臣政経塾の来年の六期生で同志となる柿沼貴志氏(行田市政に挑戦予定!)と空港で合流。沖縄で御遺骨や御遺品を土の中から集める取り組みを50年間続けてこられた国吉勇氏(71歳)の事務所となっている(有)亜土消毒の事務へ。

 事務所の事務スペース以外は、これまでに掘り出した御遺品が多数展示してあり、「戦争資料館」として直接手にとって見ることができるようになっています。出発までの時間、しばし資料を拝見致しました。

 沖縄県のかなりの部分が戦場となったわけですが、とりわけ、陣地や避難場所として戦闘が激しくおこなわれた壕の周辺から掘り出したものが多いです。こちらはそうした場から出てきた様々な銃。

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 沖縄戦に関する御遺品が一番多く集まっている場だと聞きました。公立の博物館・資料館等で展示されている沖縄戦に関する御遺品も、かなりの部分国吉勇さんが掘り出したものが有るとのことです。
 こちらはサイズ毎に区分けされた銃弾。数えきれません。

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 軍刀、鉄兜、当時の最新鋭無線機、歯ブラシ、ボタン、碁石、認識票・・・何百種類もの当時の御遺品が数限りなく置かれています。当時の生活が垣間見えます。

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 土の中から掘り出したものには、焼け焦げて様々なものがくっついた状態や黒こげのもの(生米や畳の繊維)なども有ります。米軍が徹底的に火炎放射器で焼きつくした結果です。

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 手榴弾も大東亜戦争当時のものが5種類全て多数揃って掘り出されています。金属が極端に不足した昭和20年の頃に生産された手榴弾は陶器製でした。この頃は洋服のボタンも金属では無く陶器。
 下段は水筒。これも昭和20年頃のもので、それ以前の金属製のものと異なり、陶器製です。

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 軍刀をはじめ、大きなものから小さなものまで、あらゆるものが有ります。

 71歳の国吉勇さんが高校生の時に、森林の中に放置されていた大東亜戦争当時の御遺骨を見て、「何とかせねば」と思い始めて今迄に2500体の御遺骨を掘り出したそうです。

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 火炎放射で溶けた瓶など。先人の無念が伝わってきます。極限の状況で戦い、命を落とされた英霊の皆様、行動して命を落とした民間人の方々・・・。そうした先人の無念を忘れず受け継ぎ、日本の大事なものを守っていかねばと改めて決意した次第です。

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 10時過ぎに国吉勇氏と共に林英臣政経塾の同志3人(渡邉拓氏、柿沼貴志氏、沖縄県の自民党第一支部長(先の衆院選の雪辱を果たすべく尽力中の愛国者)國場幸之助氏)と小坂の5人で、英霊の御遺骨と御遺品を掘り出しお迎えする現場へ。西原町小波津(桃原)の山林の斜面です。 

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 米軍を迎え撃つ為に斜面に多数の壕が掘られ、壕やその周辺の斜面を掘ると様々なものが出てきます。恐らく35度程度は有る傾斜の斜面、こうした場所を我々の先人は掛けめぐり戦われたのですね・・・。
 写真は壕の入口の反対側の出口部分が「機関銃のトーチカ」として石組みをされている場所。中は土で埋まっていますが、こうした石組みが斜面には多数有ります。

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 こうした壕を拠点に戦われ、国の為に命を捧げられたのに、今の日本国は申し訳程度にしか遺骨を集めることをしていません。社会の風潮も、そうした「放置されたままの英霊の御遺骨」のことなど忘れ去っているように思えます。命を捧げて今の日本の礎を守ってこられた先人へのこうした態度をとってしまう社会の風潮は「公共心の欠如」「大事なものを戦ってでも守る決意の無さ」に繋がっていると思わざるを得ません。

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 掘り始めると早速、御遺骨が出てきました。

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 更に掘り進めると、実に多くの御遺骨が土の中から姿を現しました。銃弾も。更に、錆びた重い鉄の固まりも多数。鉄の塊は米軍の砲弾の炸裂した破片だそうです。人間の体に当たれば、身体は引きちぎられる程の威力であったとか。そうしたものが無数に出てきます。
 現場で昼食を済ませ、15時頃まで掘り続けました。今日は2柱の御遺体をお迎えすることができました。明日も一柱でも多くの御遺体を迎えられるように掘り続けねば・・・。

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 国吉勇さんの事務所に戻り、資料を更に拝見。こちらは米軍が壕に投げ込んだ爆雷入りかばん。壕の中の人間を皆殺しにする為のもの。不発だったのでそのまま残ったとのこと。

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 こちらは先程も書いた磁器製の手榴弾。

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 本当に多様なものが展示されています。

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 モルヒネや強力わかもと、など様々な薬品の瓶も多数掘り出されています。

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 こちらも掘り出された当時の最新鋭無線機。

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 こちらは野戦病院壕の跡から発見された御遺骨。分かりますでしょうか?スパッと切られた御遺骨の断面は、放っておくと壊死してしまう手や足をのこぎりで切り落とした際にできたものです。

 夜は、林塾の先述の4人に加え、新村和弘浜松市議と後援会の方、千住啓介明石市議と産経新聞沖縄支局長や沖縄県で熱い活動をされている方々と意見交換の懇親会。

 長くなりましたが、初日の御報告、お読み下さりありがとうございます。 

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posted by 小坂英二 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 区政全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする