2010年12月19日

英霊の御遺骨と御遺品を掘り出しお迎え(沖縄にて)2日目

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  12月14日のブログ記事「大東亜戦争当時の御遺骨収集(沖縄)に四日間参加して参ります。」に書いた、英霊の御遺骨と御遺品を密林の中から探し出してお迎えする作業の2日目。8時20分に戦争資料館に集合。今日は7名での作業。

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 作業の現場に行く前に、大東亜戦争の戦闘時に沖縄県庁の幹部が中枢機能を移していた「縣庁壕」を拝見。詳しくはこちらの記事に書いてありますが、米軍の火炎放射の際に付着した重油の焦げた跡が未だに壁面を覆っています。

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 その後、作業現場へ。こちらは以前、既に掘り出された手榴弾や擲弾筒弾。

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 軍靴の底が戦後65年間、こうして埋まったままです。この状況を知っていただく為に、敢えて残して有るとか。

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 作業の現場は何箇所かに分かれて分担。こちらは戦闘時に使った壕。当時の地表面の上には大量の土砂が積もっています。それを人力でかき出すことから作業は始まります。

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 斜面での作業を続ける柿沼貴志氏。小坂もこうした斜面での作業を行いました。

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 壕での作業現場からも、御遺骨が出ました。

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 兎に角掘り続けること。12月なのに蚊に刺されます。夏に来るとそれはもう、大変な蚊の襲来を受けるとか。

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 小坂が掘った場所からは薬品入っていたガラス管や砲弾の破片、そして御遺骨が出ました。
 
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 14時半頃まで作業を続け、その後、指令部の出先機関が入っていた壕や、那覇市内の新都心開発現場を訪れ、皆で哀悼の意を込め「海ゆかば」斉唱と黙祷を。写真の現場からも「小野公久氏のブログ」のこちらの記事に書かれた通り、御遺骨が出てます。米軍のゴミ捨て場だった場所。そこに日本軍の英霊の死体が捨てられていた訳です。 

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 その後、沖縄県の護国神社に昇殿参拝。伊藤陽夫宮司からも詳しい話を伺うことができました。戦闘活動に参加した英霊だけでなく、幼児から高齢者まで全ての戦争犠牲者をおまつりしています。
 
 沖縄戦にて祀られている方は177,912柱。沖縄県の方が110,981柱で、その次に多いのが断トツで北海道出身の方の11,090柱。日本全土の方が沖縄防衛の為に命を捧げてこられたのです。

 そうした方々の筆舌に尽くしがたい御労苦が有り、今の日本に繋がっていると考えます。感謝の念を忘れては断じてなりません。

 ★再掲:大東亜戦争などに関する小坂の認識を10月22日のブログ記事に書きましたので、御覧下さい★

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スカウター : 荒川区議会議員小坂英二の考察・雑感
posted by 小坂英二 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 区政全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする