校庭の芝生化が行われていますが、養生中の場所とそうでない場所の違いが顕著です。
校庭と校舎の間の小さな畑では、荒川区の地名「三河島」の名がついている「三河島菜」が栽培されています。
(三河島菜の里帰りについては、以下、転載しましたの東京新聞平成22年12月28日の記事をお読み下さい。)
江戸時代に東京都荒川区で盛んに栽培されながら、昭和になって作られなくなっていた三河島菜が今冬、東京都小平市の農家の畑で復活した。江戸から仙台への参勤交代で足軽が伝え、仙台芭蕉(ばしょう)菜と名前を変えて生き残っていたことが分かっての里帰り。伝統野菜の復興に取り組む江戸東京・伝統野菜研究会は今後、再び東京の地で広めたいという。 (松村裕子)
三河島菜は、かつて三河島と呼ばれた荒川区付近で江戸初期から栽培された。葉は黄緑色で長さ五十センチ以上と大きくて軟らかく、代表的な漬物用菜っ葉として知られた。葉が横に広がって栽培しにくいため、明治以降は白菜に取って代わられ、昭和初期には姿を消し、種さえ残っていない。
研究会の代表大竹道茂さん(66)が、仙台の伝統野菜、仙台芭蕉菜の別名が三河島菜と知ったのは数年前。伝統野菜の販売を手掛ける仙台市の青果店と交流する中で耳にしたが、当初は文献に残る細密な絵とは異なる種類を見せられたため、半信半疑だったという。その後も仙台芭蕉菜について調べていたところ、さまざまな派生種があり、今も農家が細々と栽培を続けていることが昨年分かった。
栽培に適した季節を待ち、会員で小平市の農家宮寺光政さん(61)が今年九月に種をまいて、育ったのは文献に残る三河島菜の絵とよく似た、大きく広げた葉だった。
収穫は十一月から始まっている。くせのない味で、江戸野菜を扱う都内の飲食店でめんに練り込んだり、ギョーザの具やいため物に使ったりしたところ好評だった。
大竹さんは「来期は栽培量を増やし、販路を拡大したい」と意気込む。都心のレストランへも利用を促し、農家がない三河島付近でも学校などに栽培を呼び掛けるという。
(以上、転載終わり)
こうした荒川区にゆかりのある伝統野菜が里帰りして、区内の学校で栽培されています。これから給食に使うことも検討されています。
荒川区立小学校で「峡田」という名前がついたいくつかの小学校の校称にも三河島菜が使われている位、地域と繋がりの深い野菜ですが、昭和に入って白菜に押されて栽培が途絶えたとのこと。
縁があって、里帰りした三河島菜。住宅密集地で耕作が可能なのは限られた土地しか残されていない荒川区ですが、小さくても、栽培を続けて次世代に引き継いでいきたいですね!
こちらの写真入りの記事に有りますように、区立尾久宮前小学校でも栽培されてますよ。大きく育ってます!
「江戸の野菜―消えた三河島菜を求めて [単行本]」。こうした本も出版されています。読んでみます。
こうした歴史的に荒川区に根付いているものを大切に引き継いでいくべき、という方はこちらの2つのボタンを押してください。