2011年12月08日

真珠湾攻撃70周年に改めて想う。「戦ってでも守る覚悟」を国民が持つ必要性!

 今日は大東亜戦争において日本軍が米国に対して真珠湾攻撃をし、戦いの火蓋が切られて丁度、70年目となる日です。

 マスコミの論調は相変わらず、「平和を願いましょう」という催しが各地で開かれた、とか、無謀な戦争だったということばかり。実に一方的で、その時代の先人の厳しい環境を認識せずに、安全地帯から無責任な論評をしていると、その報道姿勢に怒りを感じます。

 日米開戦に至った経過は昭和初期からの流れだけを見ていると視野狭窄に陥ります。

 ペリー来航の幕末から昭和16年の開戦までどのような米国の勢力拡大が行われてきたか、その中で英国、スペイン、ロシアなどの勢力圏がどう変わり、日本がその激闘の中で主権を守りながら、限られた選択肢の中で先人が努力を積み重ねてこられたか。 

 そもそも、その当時、日本人を含む黄色人種や黒人は、欧米社会で「人間扱い」されてきていたのか?「黄禍論」という言葉を何故、学校で教わらないのか?そうした理不尽と正面から戦ってきたという見方を何故しないのか?

 日本を取り囲む、欧米の植民地利権(現地の人々のあらゆる尊厳を踏みにじってきたもの)を打破しながら、日本独自の勢力圏を亜細亜各国の独立を実現しながら確立せねば、日本は欧米の包囲網の中で多くの資源の確保すらできず、弱体化し、やがて欧米の支配下(植民地化も含む)に陥る。

 そうなれば、亜細亜で欧米に立ち向かい民族自決の旗を振る中心勢力も無くなり、欧米の血塗られた植民地支配が相当長期間、続くことになる。
 
 日本の独立自尊と亜細亜の民族自決を旗印に戦うしかないと、政府首脳だけでなく、国民の多くも決意をして戦ったのが大東亜戦争だと考えています。同時に米国の国益をかけた「日本を戦争に引きずり込む強い意志」も有ったでしょう。

 もちろん、戦争をする中で多くの人命が失われましたし、軍規がきわめて厳正な日本軍の中でも、混乱状態の中で不法行為を働いた軍人も一部にいたかもしれません。しかし、上記のような環境で民族の尊厳をかけて先人が戦われたという「主軸」を認識したうえで、先人の献身に感謝をするのが「人間としての当然の姿」だと思います。

 結果論から、「あの作戦が間違っていた」とか「あの交渉でこうすれば良かった」等々、今なら簡単に言えるでしょう。歴史を振り返り、分析すること自体は必要なことと思います。

 しかし、上記のような厳しい環境で、極めて限られた選択肢の中で、道を切り拓くべく尽力してこられた先人を安全地帯にいる我々の世代が、「現在の感覚で断罪」することは、絶対に間違っていると思います。
 
 「不毛な争いを避け、対話で解決をしていく」ことと「大切なものを守る断固とした意思・決意を持ち、それが不当に侵害されたら最終的に戦ってでも守る決意」の両方の要素が国家にも国民にも当然のことながら必要です。

 前者のみしか無ければ、「たんなる腑抜け」であり、後者のみでも「好戦的姿勢」となってしまいます。どちらの要素も欠いてはなりません。しかし、今の日本は社会風潮でも学校教育でも前者のみしか認識しない、教えない。後者の重要性は無視。実に先人に顔向けのできない恥ずべき状況、偽善です。

 「不戦の誓い」など正にその「偽善」の最たるもの。同時に日本を守る為に戦われた先人への冒涜そのもの。逆説的ですが、「大切なものを守る断固とした意思・決意を持ち、それが不当に侵害されたら最終的に戦ってでも守る決意」を持つ国民が少なければ少ないほど、日本が蹂躙され戦争に引きづりこまれて、戦わざるを得なくなる確率が上がると思います。

 「平成22年8月15日のブログ記事 「戦ってでも守る決意を英霊に誓いました。」にもこうした認識の元に記事を書きましたので、是非、お読みいただければ幸いです。

 日米開戦を考えるにあたって参考になる動画を以下、添付致します。







 最後に、先人への感謝を込め、「海ゆかば」を


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スカウター : 荒川区議会議員小坂英二の考察・雑感
posted by 小坂英二 at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 区政全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする