さて、20日の本会議における小坂の一般質問で「欺瞞と偽善の平和教育」の是正について質疑しました。
※質問項目の詳細はこちらです。
学校教育現場において、多大な時間をかけて、欺瞞と偽善を刷り込む教育を以下の通り是正するように求めたのですが、答弁は「学習指導要領に基づいて、暴力を想定しない平和教育を行う」との他人事答弁。
こうした答弁を作成する人達は結局、他人事なんでしょうね。子供達の未来も、真の平和についても。日本国の安全も国益も。
(小坂からの質問は以下の通りです)
ほぼ例外なく教育現場では「平和教育」と称して「「武力」をタブー視する風潮」の教育が縦糸や国益を損なう行われています。
これは「平和教育」などではなく「国民を廃人化・他国の属国化・奴隷化を奨励する教育」であり、断じて許されるものではありません。
「戦争は悲惨だ、怖い。武力を放棄すればみんな幸せ」と言わんばかりのヒステリックな教育。北朝鮮や中国といったゴロツキ国家に囲まれた危険な位置づけについては、考えさせることはせず、自らが平和を唱えれば、平和が保てるという正に「脳内花畑」的な教育が子供達にどれだけの害悪を及ぼし、日本国の安全、国益を損ねているか教育委員会はまともに考えるべきです。
利害が錯綜し正義が通用しない国際社会において、日本の平和を守るためには、国民が戦う覚悟を持つことが不可欠です。
その覚悟と隙の無さがあればこそ、周辺国の野心に初めて対抗ができるのです。
逆説的に聞こえるかもしれませんが、「戦う覚悟を持って守る国民が多い国は平和」に近づき、「戦う覚悟を持たず、いざこざの発生を恐れてばかりの国民の多い国は意図せずして戦争」に近づいていくのです。
国家を個人に例えて子供達に考えさせるのも必要でしょう。
「目の前で暴漢によって、父親が切り裂かれ、母親が殴り続けられ、妹が暴行されている。そんな状況であなたはどうするか?」、それを我が事として考えさせることが平和教育には欠かせません。
「自分は平和主義者だから、指をくわえて見ています」と考えるのか、「そうした状況になる前に、防御のための対策をしておくべきではないか」「そうしたことをしてくる敵の出方をあらかじめ情報を集めることが必要ではないか」「相手の暴力を防ぐには、こちらも対抗手段があることを明示しておくべきで、そうしていればこうした事態は防げたのではないか」ということなど、様々な観点での思索を巡らせることこそ、真の平和教育です。
思考停止の「似非平和教育」は子供達、そして国家が生き抜いていく際に、極めて重大な「害悪」となることを認識したうえで、「真の平和教育」を行うべきと考えますが、教育委員会のお考えは如何でしょうか?
似非平和教育は日本・日本人の生き抜く力を削ぐ害悪そのもので、是正化すべき、という方はこちらの2つのボタンを押してください。