2014年02月21日

荒川区立小中学校へのタブレットパソコン大量導入(年間8億円)は不要・有害!

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 2月20日に本会議で大項目で3つ、その中の小項目で20個の問題提起・質疑(2月12日のブログ記事「渾身の本会議質問(2/20(木)13:00〜13:40)の通告提出!」を参照下さい)をした中で年間8億円をかけての全ての小中学校へのタブレットパソコンの利用時一人一台体制の導入に関して、小坂から以下の指摘をさせていただきました。

 具体的な指摘をしながら導入は断固不要!と訴えました。答弁は「断固導入」という極めて残念なものでした・・・。

 写真は昨年11月に荒川区立小学校にてモデル校として先行導入をされたタブレットパソコン導入の授業を視察した際のものです。 

(※以下、小坂からの問題提起・質疑です)
 委員会でも再三、導入反対の問題提起を行って来たタブレットパソコンの小中学校への大量導入が残念ながら予算案に盛り込まれてしまいました。
 区内外の既に導入済の学校での状況を視察しながら改めて、単年度で八億円もかけて導入する価値は無く、有害であると確信しました。

 タブレットパソコンを授業で使えば便利で児童生徒も喜び何かを伝える際に楽な面も有ります。しかし、失うものこそ、多いのではないでしょうか?
 例えば校庭で見かけた美しい蝶の様子をクラスの皆に発表する際に、タブレットを使って撮影した動画を皆で共有して見れば、細部まで手元まで伝えられる発表ができます。「このように美しい蝶がいました」とのコメントだけ添えれば簡単に伝えられます。しかし、楽に便利に伝えられるのが教育なのでしょうか?
 それよりも蝶の色をできるだけ忠実に再現すべく努力しながら絵を書き、自らの言葉や文字、身振り手振りによる描写でその美しさを皆の前で不器用であっても発表する中で学んで行くのが教育ではないでしょうか?
 手間もかかってめんどくさくても、伝えようとする努力の中に学びが有りますが、そうした成長をタブレットが阻害するの危惧を持ちます。

 タブレット上での操作が増えるほど、いわゆる、読み書きそろばんがおろそかになるのは、教育委員会や学校は否定していますが、それは間違いの無い事実です。
 固定費が多く自由に使える範囲が極めて狭い荒川区の予算の中で26年度は8億円から、毎年その規模の支出を固定化されることは、「タブレットへの支出のせいで行えなくなる本来行うべき有意義な事業」が失われる機会喪失を考えると、そのマイナス面は計り知れないものが有ります。

 また、文科省の調査によると裸眼視力が1.0未満の児童生徒が年々増えています。そうした面での悪化に拍車をかけることは間違い有りません。
 タブレットの大量投入は人間が本来持つ能力開花を妨げることに繋がり有害だと確信しており、今からでも中止の英断を求めます。

 このタブレット大量導入や英語教育先行などの教育施策は「何を子供達に引き継ぎ教えるべきか」という軸を見失い、それ故に、実態の無い観念である「グローバル化」「情報化」という言葉に引きずられたり、日本とは歴史も国柄も全く違う国の事例を見て「外国に遅れをとるな!」「その真似をすることが進んでいるに違いない」という強迫観念に振り回されているように思えます。
 日本語という母国語の学びが不十分なうちに外国語の教育を急ぐことは有害であるとの多くの有識者の指摘も有ります。日本の縦糸をしっかりと教えることを疎かにする一方で、そもそも、英語に何故、そこまでこだわるのでしょうか?
 世界に英語が広まっているのは、米英の植民地主義によってその現地では、古来からの言語生態系が破壊され英語しか残されなかった、あるいは現地の言葉よりも格が上に英語が位置づけられる社会構造が植民地支配中や支配が終わった後も引き継がれている地域がある。
 あるいは多民族多言語が併存する一つの国歌の中での意思疎通の言語という地域が有るため、そうした国々では「社会の中で成功するには、不本意ながら英語を使わねばならない」状況にあるわけです。大学で学ぶにも、本を読むにも英語で学ぶしか選択肢が無いという国も有ります。

 しかし、日本は大和言葉からの一貫した流れを組む日本語という言語が引き継がれてきており、先ほど挙げたような歴史も有りません。
 堂々と日本語の素晴らしい要素を学び、使う中で引き継いでいけば良いのです。日本国内では英語が余り通じないのは世界の流れに遅れをとっており、恥ずかしい、という社会における強迫観念こそ恥ずかしいと思います。
 英語が必要な仕事の方は、必要に迫られた際に学べばそれで十分であり、いたずらに必要性を喧伝し、多大な時間を英語教育にかけるのは「本来、学ばせ引き継がせるべき価値」を教える時間を減らすことに帰結し、本末転倒と考えます。

 他国がタブレットパソコンを使った教育を進めているから、遅れをとらないように日本の教育現場でも!という強迫観念も有害です。私は日頃からパソコンを多用していますが、だからこそ、こうした機器のプラスとマイナスの面をそれぞれ実感しています。小中学校の教室で子供達にタブレットパソコンは不要です。
 断言できます。ここ十数年で携帯式のゲーム機器が子供達に蔓延し、公園に友達同士が集まっても無言で携帯ゲームを続ける風景をよく見るようになりました。
 子供同士でゲーム無しに遊ぶ方法もよくわからない、ゲームが無いと間が持たない子供もいるようです。同様にタブレットなど電子機器がなければ、教室が機能しない、子供も何をすれば良いか分からず、オロオロする、そんな未来の学校を想像すると、空恐ろしい限りです。
 何を学び、引き継ぐべきか日本の国柄を理解した上で根本に返って教育施策をしっかりと立てることが責務であることを腑に落とした上での教育施策とすることを再度、強く求めます。
(抜粋、終わり)
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スカウター : 荒川区議会議員小坂英二の考察・雑感