本日のチャンネルAJERで語った同性愛についての捉え方、それにいくつか捕捉して、こちらに概要を書きます。
・社会は「標準の形」を縦糸として大切にしてきて成り立ち、継続している。それをまず守り、引き継ぐことを重視すべき。
・「標準の形」と異なる形(同性愛等)も、存在を尊重していくのは当然のこと。しかし、「標準の形たる存在にはそれが守られてきた理由があり、標準と異なる形との合理的な区別はあってしかるべき」
・この1週間のニュースで地方議員、自治体職員が「同性愛」についての発言で、テレビ、新聞を筆頭としたメディアや左翼からの総攻撃を受け、同性愛についてのまともな議論が自由に行われ得ない環境になってきている。
(該当記事のリンクはこちら)海老名市議の件 練馬区議の件 岐阜県職員の件 ・特に海老名市議会は「同性愛は異常」と書いた海老名市議に議会の各会派の意向を受けて議長名で「厳重注意処分」とした。言論の府である議会が、様々な見解を述べるべき議員の特定の言葉に対してそうした処分をするのは、言論の府として自殺行為である。
・そうしたマスコミを使った言論封殺に断固抗議をし、堂々と持論を述べるべく問題提起をしたい。この問題
について取材はおおいに受けたいので、連絡をどうぞ!電話番号は 09014329069 です。マスコミが押し寄せても持論をひっこめたりしませんので。・昔は色盲(※漢字変換で出てこない言葉・・・)と呼ばれていた「色覚異常」は日本人では男性の20人に1人、女性の500人に1人いる。色彩が「正常な見え方」をしないことであり、それが「異常」だから「色覚異常」と呼んでいる。
・「色覚が異常」だからといって、社会的にさげすんだり、理由の無い差別をすべきではないし、社会的にそうした風潮は基本的に無い。それは当たり前のことである。
・しかし、色の見え方が「異常」であることから、その程度にもよるが特定の免許が取得できなかったり、つけない職業が多数有る。パイロット、電車の運転手・・・。
・それは「いわれなき差別」ではなく「理由有る区別」である。「理由有る区別」をしなければ、むしろ危険を引き起こす可能性が有り、公共の福祉に反する。
・「同性愛という異常な形」についても同じ捉え方で良いと考える。「標準と異なる」からといって露骨に差別したり、さげすむべきではない。しかし、「新たな世代である子供を生み、血筋を永続させていく形である男女の結婚のよる家庭」という法的、制度的に守り奨励されていく存在と、同性同士のカップルという「標準の形と異なり、次世代を生み出す形ではない」存在では、「合理的な区別」があってしかるべきである。
・そもそも日本は世界の中でも同性愛という存在に対して実に鷹揚で寛容であったし、今もそうである。イスラムの国では死刑にされる国もあり、キリスト教でもカトリックでは長らく存在を認められてこなかった。日本では、社会の中に普通に存在しつつ、標準とは異なるが存在を認められ、社会の中で役割を果たして生きてきた。その歴史を踏まえた議論をすべき。
・こうした議論を封じる今の風潮は恐ろしい限りであるが、それにひるまず、国会議員、地方議員は選ばれた公職の存在として堂々と議論をしてほしい。
「怯むな、国会議員、地方議員!堂々と戦おう!」と言いたい。
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「同性愛は異常」という言葉に大騒ぎする連中は、何故、「色覚が異常」という言葉(行政でも医療の現場でも普通に使っています)に対して大騒ぎしないのか?それは、日本の家族制度の「標準」を壊すという目的が有る勢力が中心になって騒いでいるからではないか?
・「同性愛は異常」という言葉に騒ぎ、抗議し、発言者をマスコミ等を使って口を封じることは、その目的達成に役立つが、「色覚異常」という言葉に騒いでも目的達成に役立たないから、大騒ぎしないのでは?・同性愛というものについての議論を自由に行うことすら許されない、言葉狩りが横行する状態は、自然に幸せに暮らしたい同性愛という特性を持っている方々にとって迷惑なものではないか?
「在日朝鮮人」という言葉すら差別語としてレッテルを貼り、その存在について正面から議論したり考えたりすることすら、何か「腫物に触る」ような存在となってしまう。断絶や相互不信が生まれる。その状態を利用して利権を得る連中が出てくる。「同性愛」という新たなフロンティアが特定の利権を求める連中にとって都合が良いから、ここ最近、大騒ぎになっているが、それは同性愛者の真の幸せを阻害することに繋がる。・「標準の形を守ることが、日本の素晴らしい縦糸を守り、その基盤の上に成り立ってきた成熟した日本文明があることによる幸せ」を守り広げることになる。マスコミに踊らされず、冷静に考えていただく大切さと、その事実を大いに広げて行きたいと考える。
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