2016年06月07日

政治家は「人格という基盤」が有ってこそ!

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 「政治家Aは長年、児童虐待を家庭で行っている」ことが判明。この場合、多くの有権者は政治家Aに対して「人間的におかしいし許せない。子供の未来に責任を果たすべき職責の政治家が、児童虐待を行うなど在り得ない。怒りを感じる。政治家にしてはならない。」と判断すると思います。
 しかし、

 「政治家Bは長年、不倫を続けており家庭と向き合わず逃げてばかりで極めて不誠実な姿勢であること」が判明。この場合は「人間的におかしいし許せない。国家の基本単位である家庭で不法行為の不倫を行う政治家など在り得ない」という判断を下す人がいると同時に、違う判断を下す人達が少なからずいます。

 「家庭の問題や不倫はともかくとして、それと政治家としての見識や能力は別。政治家としてきちんと仕事をしてくれればそれで良い。」と言う人達。

 政治家Bへの甘い判断をする人達について全く理解できません。明確に間違った判断と言えます。そしてこうした「見識」で政治家Bを応援し続けることは、「政治を歪め」「政治不信」を引き起こすことに繋がるのです。

 一人の人間である「政治家」を「プライベートな人格」と「政治家としての人格」に分けることなどできません。一体の存在だからこそ、政治家Aに対する大多数の判断の通り、「児童虐待をする人格の政治家など言語道断」となる訳です。

 しかし、政治家Bの事例に対しては、「「不倫をする人格」と「政治家としての人格」は別。有権者として「政治家としての人格」だけで判断しますよ」という人達の多いこと・・・。

 政治家Bは「不倫を長年続けて家庭とも向き合わずに来た人格に基づいて政治を行う」のです。そのような政治で良いのですか?と聞きたいです。

 政治家Bが口からは「立派な政治理念や国家観」を語っていても、その根底の人格は「「不倫を長年続けて家庭とも向き合わずに来た人格」なのです。

 そんなこと、「政治家Aはけしからんし、許せない!」と思う圧倒的多数の人達は分かっているのに、ある程度の割合の方は政治家Bに対しては、同様の想いを無意識的に「封印」し見ないようにしているのではないかと感じています。

 一体不可分な「プライベートな人格」と「政治家としての人格」の全てを「政治家全体」を見て判断を下さねば、政治の劣化、政治不信は進むばかりです。

 「人格の全体像を見ないで、政治家の主張や理念だけを見て応援する人達の危険性」について強く感じています。

 今までも沢山、「狭義の政治活動」以外の部分で批判をされるべき事実が明らかになった政治家がいました。それに対して一部の人達が「その批判されている部分は政治家としての評価とは別だから気にしないで応援して拡散もするよ」という姿勢を取ることが、政治家の劣化を進めて来たと思います。
 そうしたことは日本のためにならないと確信しています。
 
 「語っている主張が近ければ何でも身内びいきのように許し、良しとするのか?」と。ネット上やリアルでも様々な場で見かけた「民主党議員の不祥事には激しく攻撃するのに、保守系政治家の不祥事には見てみぬふり」という二重基準の人達が多く見受けられたので、書かせていただいた次第です。

 写真は先日訪れた宮古島の由緒ある宮古神社を撮影したものです。

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スカウター : 荒川区議会議員小坂英二の考察・雑感