午前中は家族と日暮里や谷中を散歩した後、千駄木駅から千代田線、小田急線を乗継ぎ、豪徳寺で下車。
お世話になっている方にお誘いをいただき参加したのが、「出雲井晶氏から神話のお話を伺う会」です。
出雲井氏は自身のHPに書かれてる通り
「現今の世相は、物質は豊かに科学文明も進むだけ進みました。が、それによって人々 は目に見える狭い現象界のことしか思い及ばず、目に見えない悠久不変なるもの、 人間が生きていく上で一番大切なものが忘れられているように思われてなりません。
これは戦後の日本弱体化の為の占領政策と、それに便乗した反日的日本人によって、わが日本 国の原点、理念が消されたまま、今日に及んでいるからに外ならないと思います。 わが日本人みんなの遠い古代ご先祖が大宇宙の法則に合致しとけこみ発見し、そして伝承 してくれた「古事記・神代=日本神話」が消されてしまったからだということです。 目に見えないもの目に見えるもの、全ては神、神のあらわれとの壮大な思想や、天照大御神 から続く皇統の尊厳、その皇室を慕い形成された麗しい国体が消されてしまったからと、私は 考えます。
「日本神話」には、大宇宙無窮の理法が語られ、わが古代ご先祖はこの深遠な理を国家の 原点にすえて日本国を創生してくださいました。私達子孫は「日本神話」によってはじめて自分達の 偉大な古代ご先祖の叡智と愛を正しく知ることが出来ます。
その教えに則って生きるとき、人々は幸せに生き国家も繁栄します。ひとりわが国だけでなく 「日本神話」の真理は、世界の宝、聖典であると私は信じます。世界の心ある多くの学者たちも これを認めております。
「日本神話」にこめられた大和の魂、日本の心によって、次代、また次の次の世代と、永遠に 日本の国の子供たちが、明るく希望にもえて生き、日本の国が明るく栄えますように、世界の すべてのの人々が和して仲よく人類が救われることを願い、祈りをこめて私は「日本神話」 の書物をかき、又、描き続けました。その拙作全てを寄贈させていただきます。」(以上、引用)
という趣旨で私財を投じてこうした活動を続けておられる方です。十数名の参加者と共に伺った話で心に残った言葉をいくつか書きます。
「子や孫に、事あるごとに自分たちの祖先の素晴らしいDNAが自分には引き継がれているんがどいうことを伝えて欲しい」
「目に見えるものだけ、肉体が自分自身だと思いこんでることが不幸の始まり」
「日本神話を広めることで日本は甦ると考え、こうした活動を始めた」
「100年に一度の不況と言われているが、これも好機として、「目に見えるものだけでなく、見えないもの」についてもしっかりと考える機会にすべき。」
娘に読み聞かせると同時に、知り合いにも是非、折りに触れて渡したいと思っている絵本を購入・贈呈いただき持ち帰ってきました。
「にっぽんのかみさまのおはなし」
「大人も子供も0歳児も学べる神話の絵本の決定版『幸せの国の幸せの子供の話〜日本神話〜』」
勿論、大人向けの書籍もこちらに記載の通り多く出版されています。
今日、伺ったご自宅の敷地に「日本神話 伝承の会」(こちら)は有り、神話や御皇室についての執筆と同時に画家としても活躍をされている出雲井晶氏が描いた神話の絵や書籍も展示されています。
今迄も、「学校教育の場において神話をしっかり教える」べきと求めましたが、引き続き問題提起をして参ります。このような民族の根幹をなすものが、次世代に引き継がれるようにする体制が学校に無いことが、今の日本の社会の異常性を示していると考えます。
食べ損ねた昼食を駅前商店街のラーメン店で17時に食べてから、夜は政務会合に参加。
今年は参加できませんでしたが、熊野前商店街のサンバカーニバルは盛り上がったようです。
日本神話を次の世代に引き継いでいくべき、という方はこちらの2つのボタンを押してください。
国民的ヒーローをデザインした、某彫刻家の本に書かれていた事です。
「神話は歴史ではなく、人間の夢であった」
確かにその通りだと思います。
ですから、思想、哲学、倫理として教えるべきで、歴史として教えるのには感心しません。
>「日本神話」の真理は、世界の宝、聖典であると…
日本だけのものでも良いと思いますが。
人類全てに共通する“普遍的”要素はありますが、それならギリシャ神話やインドの『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』にもあります。
神話は各々の国の人々によって培われたものですから、その国だけの物であっても良いと思うのですよね。
外国人で日本の神話に感銘を受けて、それに沿った生き方をしたいという人がいたら、それはそれで構わないとは思いますが。
そうでなかったら、独自の神話を持っている国の人達にとっては「日本神話」は「異国の昔話やお伽話」でしかありません。
実際、日本じゃギリシャ神話とかは、昔話や伝説の類でしかありませんから。
日本神話は大好きですし、今でも教訓となり深く考えさせられる内容が多いと思ってます。
ただ神話をいわゆる歴史ではなく、民族性をつちかうに至った心の歴史ととらえて、倫理や考え方のひとつとして教えてほしいです。
戦後占領だけが原因でなく、開国後の日本は新しい文化を吸収するのに必死に飛びついた分、自国文化をおろそかにしてきたところがあると思います。(もちろん敗戦がそれをさらに後押ししたのは否めませんが)そこを立て直すという意味でも、自国のさまざまな文化(神話、伝承)を顧みるというのはとても良いと思います。
ただ、あまり立ち返りすぎて、何かの信者っぽくなるのもいやですし、加減が必要ですよね。
先日会社の雑談で、ギリシャ神話を知っていても、古事記をしらない(天照大神、月読命、須佐之男命がわからない)とか聞いてがくぜんとしました。
そんなことはないようにしたらいいと思います。
神話の重要性についてご理解を賜り、嬉しく思います。古代から「神話という物語」を日本人は引き継いできた歴史が有り日本精神の根底に流れているのでありますから、それを歴史の授業で教えることは、特段問題が有るとは思いませんし、筋が通っていると思います。
>>かいり 様
そうですね。ご指摘のように「民族性を培った心の歴史」だと思います。民族の根幹を為すに至った大本の物語として引き継いで行きたいものです。
>>五十嵐 進 様
幼い頃に教わった神話が心の中に根付いておられたエピソードを教えていただき、ありがとうございます。
いつも、コメントを励みにしております!
レス、有り難うございます。
ただ、学校で神話を教えるにしても、どの教科として教えるのか。
日本に限らず、神話というものは、人類が文明を作り出しながらも、まだ“宗教”という物を形成しきれていない時代の“原始信仰”的な思想です。
つまり、歴史で教えるとしたら“古代史”の一部としてしか教えられないのです。
>「神話という物語」を日本人は引き継いできた歴史が有り日本精神の根底に流れているのでありますから、
と、仰られても「神話」と「歴史的事実」を混同させてしまう訳にもいきませんし。
実際、子供の頃、ある程度日本神話の話を授業で聞いたとしても、道徳や国語の授業で習った位で、歴史で習った記憶、殆どないです。
むしろ、「倫理・哲学」として教えた方が、より深く教えられると思うのですが。
人間、そこまで愚かではありません。
もし仮にそんな無分別な人がいたとしたら、そもそもそんな人に一体どんな哲学や倫理を教えることができるというのでしょうか。
お書きになったような心配は必要無いと考えます。杞憂だと思います。
>>クマー 様
コメント、実に同感です!