今日の午前中は「荒川区功労者表彰式」と祝賀会に参加させていただきました。128名が各分野で荒川区のそれぞれの地域で地道な御尽力を続けてこられたこと、心から感謝です!
11月14日の「日本解体阻止集会・デモ」の後に参加した「慶應義塾戦没者追悼式」について書きます。学徒出陣から六十六年が経過した今年に、私の母校である慶應義塾大学内で追悼会を開催すると、慶應の先輩から聞き、塾の先輩である英霊へ感謝の気持ちを込めて参加をさせていただきました。
平成19年の資料によると、塾員、塾生、職員等を含めて慶應義塾関係戦没者は2,223名。今迄の塾内での追悼行事は以下の通り。
昭和32年 有志によって寄贈された戦没塾員を慰霊するための
「平和来」青年像の除幕式
平成5年 有志による学徒出陣50周年戦没同期塾員追悼式
平成10年 「還らざる学友の碑」除幕式
平成10年以来、慶應義塾大学内では追悼を行っていないとのことで、今回、「決して忘れてはならず、歴史を引き継いでいく必要が有る」為に、今回の追悼会が行われました。
銀座でのデモに参加後、遅れての参列となってしまった為「還らざる学友の碑」への献花には間に合いませんでしたが、追悼会で、実際に学徒出陣に参加された方の体験を聞かせていただきました。同じ慶應義塾大学OBである吉田康一郎都議も参加。毎年、追悼会を行っている早稲田大学の方からも当時の話を聞かせていただきました。
早稲田大学と慶応義塾大学の校歌・塾歌や応援歌を肩組み歌い、閉会。終了後、実行委員会の方とお話をして、「今後、毎年開催する予定となっている追悼会に慶應卒の地方議員への参加を呼び掛けて行く」ことを約束致しました。
実行委員は昭和18年卒塾の方から平成18年卒の方まで年齢も多彩ですが、大多数は大先輩でした。実行委員の一人であり、明治天皇の玄孫でおられる竹田恒泰氏ともお話をし、若い世代にもしっかりと参加を呼び掛けていくことを約束しあいました。
欧米では大学内に慰霊碑を設置し、更にこうした追悼を行うことは一般的だそうですが、日本の大学では少なく、都内では早稲田大学、そして今後毎年行う方向の慶應義塾大学を除いて少ないそうです。歴史を語り継いで、慰霊・顕彰をきちんとしていくように様々な場で問題提起をして参ります。
戦没者への追悼を決して忘れてはならない、という方はこちらの2つのボタンを押してください。
その際に見つけたのが、プロ野球選手戦没者の慰霊碑(東京ドーム構内)。沢村栄治(巨人)や影浦将(阪神)等の有名選手から無名選手まで、数多くの名前が刻まれています。それ以外に、戦禍をくぐり抜けて復帰し、プロ野球の隆盛に貢献した選手もたくさんいます。先人達の「足跡」を残し、その偉業を称え苦難を労うのも、「後輩」である我々の務めです。
戦時中、野球は「敵性(敵国の)スポーツ」、英語は「敵国の言葉」として忌み嫌われる風潮にあったと聞きます。「英語が禁止され、『ストライク』を『よし1本』とさせられた」という逸話は有名ですが。
戦争が起きる原因の1つとして、異文化に対する不寛容もあります。こういう「鬼畜米英=米国発祥の野球をやるヤツは非国民だ」に代表される「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」的思想を戒めるのも、戦没者を追悼し平和を願う、という事につながると思います。
ところで、野球と言えば、「京王(←あ、間違えた)〜慶應〜陸の王者、慶應〜♪」の小坂さんは「早慶戦」ではなく「慶早戦」って呼ぶんですか?
プロ野球選手戦没者の慰霊碑ですか。初めて聞きました。今度、足を運んでみたいと思います。
多様な文化を知ると同時に、自らの文化をしっかり認識することが必要ですね。
一般に早慶戦と呼ばれていますが慶応義塾関係者の間では「慶早戦」と呼んでいますので、私もそれにならっています。