2009年12月25日

絵本作家 ときたひろし氏

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 今朝は午前5時過ぎに起きて事務作業をしていたら、丁度その時間に西尾久1−18で火災発生。消防団にも出動要請が出ましたので、消防団員として出動して参りました。

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 ストーブを点けたまま寝て、布団に引火したのが出火原因でした。幸い、燃え広がらずに鎮火。それにしても荒川区ではこの三日間、火災が続いています。

 昨日は荒川3丁目で死者を2名、怪我・意識不明3名を出した火災が有りましたが、こちらは石油ストーブの給油の際に油をこぼし、拭いたつもりが拭き残しが有ったためか着火したところ、炎が燃え広がってしまったのが原因だとか。一昨日も西尾久7丁目で火災が有りましたし・・・。くれぐれも火の元にお気をつけて下さい。

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 さて、昨日は午前中、南千住駅前のベーカリーカフェで絵本作家の「ときたひろし」氏とお会いし、教育の在り方や政治の課題についてじっくり意見交換をさせていただきました。写真は駅前再開発ビルで、区民事務所やふれあい館が完成間近です!

 ときたひろし氏は30代半ばで警官を退職後、絵本作家になられた異色の経歴をお持ちの方です。

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 意気投合して、昼食もご一緒させていただきました。絵本業界は仕事柄、「左翼的思想」が蔓延し、国を愛する観点からの絵本は業界では認められにくい状況ですが、その中でも「何を子供たちに引き継いでいくべきか」を信念としてお持ちになり、厳しい状況の中、真に伝えたいことを絵本で形にされたときたひろし氏の志。
 それは確実に子供達に伝わっているようです。

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 「娘さんに」とのことでクリスマスプレゼントとしていただいた、ときたひろし氏が書かれた絵本「お父さんへの千羽鶴」。大東亜戦争時の特攻隊の方が主人公の絵本です。5000部出版。


ともえちゃんのお父さんは特攻隊員でした―。
千羽鶴に託された家族の祈りと、
二度と帰れぬお父さんの想い。
もう一度、見つめ直してみませんか。
“日本人のこころ”を。

絵本「お父さんへの千羽鶴」の元となった原画の予告編無料動画はこちら

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 サイン入りで頂戴しました。因みに最初にお書きになった絵本は「9番目の戦車」で、やはり戦争と歴史をテーマにした作品。絵本業界では異例の6000部出版されたとか。

 「開運!武者姿肖像画」というオーダーメイドの作品も手掛けておられます。これは歴史好きにはもちろん、政治家にもかなり受けるかも。

 戦国時代の「鳥居強右衛門」の話は戦前の教科書には必ず登場していたのに、大東亜戦争後、GHQに支配されてから消された。そうした埋もれた話を伝えていくことの重要性もお話いただきました。

 GHQにとって都合が悪い「日本の忠義」の実話が葬りさられつつある現在、日本の歴史と心を引き継いでいくべきという志、実に同感です!
良識有る皆様と共にこうした志高い絵本作家、ときたひろし氏の活躍の場を広げていければと心から思っています。特に、子育て世代の皆様、一度、ときたひろし氏の作品を手にとって見ていただければ幸いです。

 「多くの人に読んでもらうべき」本は、ご自身でお買いになるのも良いですが、それぞれの地域の公立図書館に「購入リクエスト」を出して図書館の蔵書にすることで多くの方がその本を手にとることができるようにするのも一つの方法です。

 荒川区立図書館では「希望する書籍等の購入要請」はこちらのページに記載の通り、メールで可能です。是非、皆様それぞれの地元の自治体の図書館をご活用下さい。

small_ribon.gifときたひろし氏の活躍を期待する、という方はこちらの2つのボタンを押してください。
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スカウター : 荒川区議会議員小坂英二の考察・雑感
posted by 小坂英二 at 10:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 区政全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
どうも初めまして^^
my日本より来ました。

荒川区議会議員でありながら、消防団員とは・・・すごいですね。私だったら体力が持ちそうに無いです><

冬、ということで空気が乾燥して、火事とかが起こりやすい時期ですので、私も気をつけておりますが、小坂さんも、自分のお体をご自愛ください。

話は変わりますが、鳥居強右衛門ですか。
私は高校のときに日本史専攻だったので鳥居強右衛門に関しても軽く知っています。

長篠城城主奥平貞昌が、武田勝頼の包囲によって長篠城が陥落寸前だったときに、家康の増援を要請するための使者として鳥居強右衛門が自ら買って出たのですよね。
そして、武田の警備をかいくぐり、岡崎の家康に危急を伝えることが出来た。
しかし、戻る途中に武田軍に捕まえられてしまった。武田勝頼は、命を助けてやる代わりに「援軍は待ってもこない」というように告げるように命じた。これを承知した強右衛門は、「信長公、当地へ二,三日のうちに着かせたまふぞ、丈夫に城を持ちたまへ(頑張って持ちこたえよ)」と叫んだ。
怒った武田勝頼は鳥居強右衛門を磔刑に処した。しかし、この呼びかけによって、城の兵士の士気が上がり、城は持ちこたえることが出来た。
という話でしたね。
この話から、鳥居強右衛門が自分の主君である奥平貞昌に尽くそう、という、いわゆる「武士道」というものが見えてくると思います。この心が今の日本人には足りないような気がいたします。
長文失礼致しました。
Posted by null at 2009年12月25日 14:20
小坂さん風邪気味な所消防活動無理はいけません団員の方に悟られない様出動された事でしょうが家族の心配想像できます、健康維持には充分過ぎるほどが良いのですから 余り偉そうな事言えぬ私ですが、鳥居強右衛門の話は戦いの場だけに生きるものではなく仕事上にも充分生かされるもの戦争直後は忠臣蔵も曽我兄弟の話も駄目でテレビなぞは昭和35年花の生涯のタイトルで大河ドラマになったのが最初のかなと記憶していますが 
Posted by 荒川躍進 at 2009年12月25日 19:28
>>null 様
 鳥居強右衛門の話はもっと広めてしかるべきだと思います。「義よりも生活や命が大事」という風潮を押しとどめねば日本はただの「個人主義国家」に成り下がってしまいます。

>>荒川躍進 様
 風邪はかなり治って来ました(^^)。御心配いただき恐縮です。
 ご指摘の通り、鳥居強右衛門の話は本当に様々な場で活きるべき話だと思います。
Posted by 小坂 英二 at 2009年12月26日 13:13
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