2006年03月20日

全国から注目される 文武両道の区立尾久八幡中学

 今朝は、「区立尾久八幡中学校」の卒業式に出席。105名の涙ながらの旅立ちの清清しさ、培った絆への涙には、多くの列席者の涙を誘いました。新たな場での幸が多からんことを心より祈ります。
 
 その八幡中学校の取り組みが注目されています。プレジデント社が発売するPRESIDENT4月17日号別冊 プレジデント Family [vol.2]に4ページに渡って紹介されています。そのタイトルは「区立尾久八幡中学に人気が集まるわけ 部活が知力を伸ばす 実証データ公開」。

 尾久八幡中学では学校ぐるみで部活動に力を入れて、そのことが学力向上に結びついているという内容の記事です。粗筋としては「七年前の尾久八幡中は今では想像もつかないほど荒れた学校だった。部活動の加入率は55%だったが、ほとんどが開店休業状態だった。教師は生徒の問題行動に個別に対応するのに精一杯。しかしそこで、部活動の効用を自らの経験で知っていたある教師が中心になり、部活動のの活性化に取り組む。部活動を通じて到達目標を達成する充実感を感じることにエネルギーの発散先を見つけ、その集中力が学力向上につながっている。今では卒業生の進路として都立では領国、小石川、私立では巣鴨、安田学園などの進学校に進む生徒も出ている。今年の4月の新入生については学校選択制度の元、定員150名のところに225名が応募するまでの人気校となった。現在、全生徒の96.7%が部活動に参加。
 生徒に「部活動をしていると学力は下がると思うか」というアンケートをとると、思わない=60%、どちらとも言えない=34%、思う=6%と部活動と学業の両立について肯定的な認識が示される。
 中学生の部活について研究している教授によると「部活動に参加することで、生徒は学校の存在を肯定し、部活動以外の学校生活にも適応していく。高い目標に向かっていくようになる。」」

 荒川区の学校の努力がこのような形で紹介され、嬉しいものです。全文を読みたい方は、書店へ・・・。又は小坂へメールででもこっそりとご連絡下さい。

 こうした尾久八幡中学の改革は区内の他の学校に非常に大きな良い影響を与えています。現在の教育長(教育委員会の責任者)は正に尾久八幡中学校でこの改革を実行された方です。こうした地道な取り組みがさらに広がるように、小坂も部活動や域スポーツ活動が行いやすいように議会で発言・活動して参りましたが、今後もさらに力を入れていきます!
small_ribon.gif学校における部活動や地域のスポーツ活動にさらなる支援をすべき、と考える方はこちらを押してください。
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posted by 小坂英二 at 15:34| Comment(8) | TrackBack(1) | 教育・子育て環境 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
尾久八幡中学の卓球部の3年生から1年生の8人が東京都教育委員会の生徒児童表彰者 101件の中に選ばれました。
 詳しくは東京都教育委員会のホームページにアクセスして、教育庁報 513号をご覧ください。
Posted by 戸板 at 2006年03月21日 21:33
>>戸板様

 情報、ありがとうございます。拝見しました。素晴らしいですね。

リンク:http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/buka/soumu/choho/513/page2.htm

 さらに八幡中卓球部は「都中学校新人卓球大会」で優勝し、3月27日、28日に高知県で開催される全国大会に都代表として、出場します。活躍が楽しみです!優勝を祈念してます!
Posted by 小坂英二 at 2006年03月24日 13:13
保護者です。卓球部活躍すばらしいですね。「文武両道」に共感しております。ただし、一方において、これは顧問の並々ならぬ取り組みあってのこと。他の部の先生の取り組む姿勢にはかなり温度差があるように感じます。土日の練習をしない部もあると聞きます。練習中私語が多いため、活動停止となり、今年の新入生のうち練習したい子がつまらなくなってやめてしまったという残念な事例もあるようです。しかしながら、顧問を攻めるわけにもいきません。教員の部活に取り組む姿勢や成果を報酬や職位等実利のある形で反映していない制度面にも問題があろうかと思います。「文武両道」は、先生そのもののライフスタイルであるべきであり、教育行政につかさどる人間すべてに共通の価値観でなければならないだろうと思います。人徳、人格、そういう部分で模範となる教員像の確立、制度面のバックアップを切に望みます。
Posted by 匿名で恐縮です at 2006年07月07日 12:23
コメント、ありがとうございます。教員の姿勢の差、制度としての支援の不足といったご指摘は正にその通りだと思います。都との関係も有るものの、区として部活動を明確に教育活動の重要な部分として位置付け、生徒の人格形成を熱心に手助けできるような部活動ができる体制を整備していくべく、内部の調整や委員会等で働きかけていこうと考えています。

 コメントいただいたのも何かの縁ですので、生徒の保護者でいらっしゃるととのことなので、是非、ご意見をと思いまして・・・。先月の22日に本会議で代表質問を行った際に4項目目に学校運営について様々な「おかしい」と感じる細かい点について指摘・質問したのです(http://www.geocities.jp/kosakaeiji/180622honnkaigikosaka.htm こちらの記事で報告しております。長いですが・・・)が、お時間がありましたら、是非、学校運営の質問内容について何かお感じになることや情報が有りましたら教えていただけるとありがたいです。あつかましいお願いですので、お時間が無ければ結構です(^^)。
Posted by 小坂英二 at 2006年07月07日 13:38
小坂先生、コメントバックありがとうございます。この場を借りまして、公立中学・高校における「文武両道」あるいは「部活動」そして教育全般について、日々感じていることを述べます。脈絡なく打ち込みますことをお許しください。

まずは部活動指導に関する疑念を4つほど。
1)大学の教員養成課程では「部活動」に関する概念・指導法などを学ぶことができるのだろうか。またそれらは単位取得を義務付けられているのだろうか。
2)中学・高校教員採用試験では、「部活動」の実績、ならびに「部活動」の意義や指導概念、コーチング技術等を評定項目としてチェックしているだろうか。
3)学校運営において部活動顧問の決定プロセスには合理性があるだろうか。
4)部活動に取り組む教職員に対しての評価(報酬と職位)には一定のルールがあるだろうか。またそれは学術研究のそれに比べて、妥当性のあるものだろうか。

私の知る範囲内では、この4項目の回答はすべてNOになのだと思います。実際、担当した部活動(スポーツ)を未経験だという先生も結構いらっしゃいますし、専門外を受け持たされるケースもあるように聞いております。ましてや部活動の指導技法を高めていく研修が教育委員会で体系化されているかというとおそらくそれもないだろうと推測するところです。したがって現在強いチームを牽引しておられる先生方は、献身的に取り組む一部の経験者であり、その方々の多くは、独学や同じ意思をもつ他校の先生方との間で組織管理や、コーチング、メンタルトレーニングなど指導技術を学んでいることでしょう。教員間で温度差があるのは当然です。公立中学ではよくあることと思いますが、熱心な先生が移動するとそのチームが強くなる・・・これは指導力に大きな較差があるからだと思います。

『文武両道・部活動に力を入れる』という教育理念は、確かに時代整合性を伴い重要性を帯びてきていることは多くの人間が認めるところです。しかしながら一方で、それを教育の実践としてシステム化しているかとなると、これはかなり遅れているといわざるを得ません。結果として『文』偏重の教員採用、『武』の能力軽視の人材登用、人材配置、人材教育になっていると申し上げても過言ではありません。事実バランスを著しく失った教員が引き起こす事件も顕在化しています。

では、なぜ「文」偏重の世の中になったのでしょう。これには、その時代、時代の人の生き方、価値観が関係しているからだと思います。たとえば、部活動に力を入れた場合、その反動として、学習時間が割かれる→塾に通わせることができない→偏差値の高い上級学校に入れない→一流企業に入社しづらくなる→高い報酬と待遇が得られない、生涯賃金で大きな違いがでる→経済的に豊かな生活ができない・・・とのロジックから保護者の合意が得られない。物質的繁栄、金とモノを豊富に所有する人が偉く見えてしまうパラダイムの下では、二宮金次郎や宮沢賢治の「雨にも負けず」的な行き方は、もはや貧乏臭いのです。これは日本国民全体の問題です。つまり、制度改革を行うには、世論が大事だということでしょう。本当の豊かさとは何か、どんな人間が豊かなのか、そして青少年が尊敬する大人像、人間像とはどんな人間なのか、そうした人間観、仕事観、人生観をじっくりと考え直すことが、教育制度改革の大前提であるように思います。

冒頭で述べて具体的改善案は、こうした日本人の背景にある『人間を推し量る尺度』が変わらないことには、実現できないのではないかと危惧します。戦後の物質文明の弊害は、有形を所有することを尊ぶがあまり、精神性を軽視したことです。しかし、いかに経済的な成功を収めた人間でも、その精神性=心が成熟していなければ、人徳も人望も得られないはずです。余談になりますが、昭和一桁生まれの父母の口癖である「もったいない」は、最小限のものを大切に持続させるという意味で、戦後の価値観の対極にあるものです。父母の価値観からすれば、なんでもかんでもアウトソースする我々世代の考え方は堕落そのもののようで、痩身やアンチエイジングにお金をつぎ込む現代人を見ては「世も末だ」と愚痴ります。しかし最近では、単に、これを老人のぼやきとして流してしまってはいけないと強く感じるようになりました。『清貧を潔し』とし、『持続と美』とし、『自律と自助努力を徳』とした彼らの価値観は、彼らの孫に引き継がせるべき貴重な概念です。

そもそも人間族は、世代を引き継ぐことで、永続的に繁栄してきました。人が次世代を生み、育むことは人間に課せられた最大の使命かもしれません。であるならば、自分の子を産み育むまでに、自分の命を決して落としてはいけないことになります(自殺の否定と少子化の否定)。飛躍した言い方をすると、子を育てることは、自分の住む地域を育むことであり、世の中を育むことであり、さらには未来を育むことにつながるということです。「人間たるや永続的な未来を育むべし」という定理に立脚して申し上げれば、私たち日本人は、どんな『価値観』を以って人生を全うし、次世代を育成していくべきなのか、今こそ、それを真摯に考えるべきときではないか思います。

哲学めいた話になりましたが、申し上げたいのは、文武が備わった子供たちを育てようではありませんかということ。物質文明に毒化されつつある世の中を、ニュートラルに戻してくれるのも、次の世代の若者、子供のはず。その子供たちを育む環境をみんなで改善していくことが我々大人の役目ではないでしょうか。立派な先輩もいらっしゃいます。国見高の校長先生、清水商のサッカー部の監督。その献身的なご努力をご存知ない方もいらっしゃると思いますが、その取り組みを知れば、多くの人々が「立派な方だ」「あれぞ先生だ」「あの子供たちは幸せだ」と感銘を受けるはずです。私も微力ながら、あのような人間として子供の前に立ちたい。先生にはなれなくとも、一人の父として、自分を律し、よき目標となる人間でありたい、そう思う次第です。
Posted by 匿名で恐縮です at 2006年07月12日 22:15
>>匿名で恐縮です 様

 コメント、じっくり拝読しました。多いに同感です!!精神を軽視した社会風潮、教育を正していくべく尽力して参ります。引きこもりやニートの問題を初め様々な異常な事件についても同根だと思います。時間のかかる課題ですが、一歩ずつ、変えていくしかないですね・・・。今後とも宜しくお願い致します。
Posted by 小坂英二 at 2006年07月13日 13:13
再び、部活談義でございます。今回は現状の報告です。

本日三者面談があり、部活動に取り組む先生方の姿勢について、それとはなく伺ってまいりました。
当方:「一部生徒の私語が多いため、集団責任として『活動停止』が学期中3度もありまして・・・」
先生:「それは多いですね」
当方:「ペナルティならば、筋トレやランニングを課すべきではないでしょうか」
先生:「そうかもしれません・・・」
当方:「土日の練習がないので、体を持て余しておりますが」
先生:「部活動はサービスでして、土日はなおさらです。ラジオ体操やジョギングをなされてはいかがでしょう」

とまあ、こんなやりとりでした。補足ですが、水曜日は原則部活をせずに全員下校です。先生方はこの時間帯に会議を行っているようです。顧問の考え方によっては、帰宅後再登校をさせて部活動をさせているようです。この意図についてはあらためて確認をしますが、通学距離の長い子にとっては登下校時の犯罪・事故のリスクが高まるのではないかと危惧しています。ちなみに私どもの子どもの所属する部は練習がありません。過日の都大会では、1年生は来ても来なくともよいとの指示だとのこと、当方は応援に出向きませんでした。

この議論、現在の枠組みでは教員を責めることはできません。彼らを管理統制している教育行政、教育委員会のレベルでそれを良しとしているのですから。つまり部活動指導については、ミッションとして意識付けなどしていない。ボランティア活動に過ぎないのです。そうであるのならば、「文武両道」を学校の意思として大々的に表出すべきではないし(実態が伴っていない)、卓球部等の取り組み=すなわち一部の稀有な顧問の先生の自己犠牲的な取り組みに乗じて、それをあかたも学校全体の教育方針として宣伝するのは止めるべきでしょう。(誤解を生むという意味で)もちろん公立学校とはいえ、学校宣伝・広報が必要な時代でしょうから、戦略的に先鋭的な事例を作っているという推測もないわけではありませんが。(憶測です。ごめんなさい)

いずれにせよ、部活動指導に献身的に取り組む教員もいれば、サービスとして「やってあげている」教員もいる、そして後者の姿勢が教育行政の枠組みではスタンダードであるといいことです。問題は、前者と後者では、理想とする教師像が全く異なるということです。教師は、あらゆる局面において人格者であるべきなのか、はたまた、教科教育のプロであれば良しとされるのか、どうあるべきなのでしょう。学校と塾の違いはどこにあるのでしょう。
Posted by 再び保護者です。 at 2006年07月26日 01:25
>> 再び保護者です。 様

 コメントの返答、大変遅くなり失礼しました。詳しい現況報告、ありがとうございます。コメントに書かれていた思い、全く同感です。教師は、あらゆる局面において人格者であるべきだと思っています。それだけ思い責任を負った仕事だと認識しています。

 部活動の位置付けや待遇については都の教育委員会が一律で決めていますが、今後、人事権も含め区市町村へ権限が移される予定ですので、その際に荒川区においては部活動の位置付けを明確にすべく、議会でも今から議論の伏線を張っておこうと考えています。今後も、現場の実情をコメントあるいはメールで教えていただけると幸いです。大変参考になります。
Posted by 小坂英二 at 2006年08月02日 23:15
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