さて、一昨日の夜、ルポール麹町にて林英臣政経塾に多大な支援をして下さっている政経倶楽部の例会に出席。
勉強会では、明治時代に亡命をしていた孫文(革命活動の3分の1となる10年間は日本で過ごした)を支援した梅屋庄吉氏の「埋もれてしまった歴史」についての話を聞かせていただきました。
講師は梅屋庄吉氏の曾孫である小坂文乃氏。日比谷の松本楼の常務取締役企画室長です。
損得関係を抜きにして中国の辛亥革命を支援した梅屋庄吉氏についてはこちらのページをご覧下さい。
孫文と梅谷庄吉が目指したアジアは諸民族が連携したアジアを目指していた。手段は経済・民政分野の連携からという形。
祖国の惨状を変えるべく立ちあがった29歳の孫文に対して27歳の梅屋庄吉氏は「君は兵を挙げよ、僕は財をもって支援す」と固く約束した。
孫文は11回も革命を失敗したが、梅屋氏はそのたびに助け船をだしてきた。
梅屋氏は支那だけではなく、フィリピン、インドの独立革命家を支援していた。
辛亥革命を孫文と梅屋庄吉を中心とした支那と日本で協力して実現をした事実を、映画にすべく力を作業を進めていたが、残念ながら途中で終わってしまった。
その遺志を受け継ぎ、来年、辛亥革命100周年で両国の志士の繋がりを映画(日本、中国、香港の合作)にすることになった。来年春から撮影予定。11月にはアジア全域で公開したい。政治性を前面にだすのではなく、人間の物語を中心に作る。
★こうした先人の心意気は引き継ぐべきであり、それは、「今の支那共産党支配体制と仲良くする」、ということではなく、「民族自決が損なわれている東トルキスタン国、チベット国、南モンゴルの民族自決を支援すること、同時に漢民族を中心とした支那が覇道ではなく王道の民主国になっていくように硬軟両方の手段を使って導いていく」役割を日本が果たしていくべきと考えます。
まずは日本の世論の正常化、堕落しきった政界の是正をせねば・・・。
支那が覇道の血塗られた強権政治を続けないように日本が導いていくべき、という方はこちらの2つのボタンを押してください。