2011年01月23日

教育から「偽善」の追放を!

 日本の社会、教育を覆う「偽善」。昨年の区議会本会議でも「偽善でなく生き抜く力を育てる教育を」(詳しくはこちら)と求めてきました。

 昨日、日本文化チャンネル桜のメルマガで代表の水島総氏が巻頭エッセイで書かれていたこと、正にその通りで、日本の根源的問題をとてもわかりやすく書いておられるので、以下、転載して皆様に読んでいただきたいと思います。


【巻頭エッセイ】

「戦後日本を呪縛するもの」

日本文化チャンネル桜代表 水島 総

「話し合えば、きっと理解しあえる」
この言葉は果たして正しいのか。

もう十五年以上前になるが、私がまだ「現役」の脚本家、映画監督として、テレビドラマや映画に関わっていた頃、ロケ撮影で使用した長崎県島原の小学校で、教室の壁の額縁の中に、この言葉が 掲げられていた。
恐らく担任の教師が書いたのだろう。

見た途端、ああ、ここでも子供に嘘を教えていると溜息が出た。

自分の女房や子供、親兄弟、友人、恋人、何でもいいから冷静にちょっと思い出してみればすぐわかる。
話し合って理解しあえるなんてのは、ほとんど嘘っぱちなんだと、どなたでも完璧に了解出来るはずである。

現実には、「(人間同士はほとんど)理解し合えないから、(必死で、ある時には命懸けで)話し合うのだ」というのが真実だろう。
理解し合うために話し合えと教えるのは良いが、話し合えば理解し合えるなどと子供たちに教えるのは、嘘であり、偽善であり、罪悪である。

もうひとつ、「理解し合うのは困難だが、愛し合う事は出来る(可能性がある)」と小さな声で呟いておこう。

しかし、戦後六十数年、日教組によって、こういった大嘘と偽善の教育がずっとされて来た。
そのツケが今、恐るべき結果となってテレビメディアの人々の心に浸透している。

私はこれまでメディアの偏向の原因を、現場のディレクターやプロデューサーの偏った左翼イデオロギーの意志で起こされていると考えて来た。
しかし、それは一面的には正しいが、全てではないことを改めて理解した。
戦後六十六年、戦後日本全体が、冒頭の言葉に象徴されるような偽善と嘘の世界観、人間観で形成されて来た、その土壌が原因であったことに気づいたのだ。

簡単に言えば、日本国憲法である。
特に、憲法前文の内容は、余りに能天気で、偽善の権化の如き文章である。
戦後日本の諸悪の根源と言っても良い。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」

この一文の「精神」が、一切の戦後日本と日本人の偽善と似非世界観を形成したと言っても言い過ぎではないだろう。

その矛盾を見事に露呈させた「事件」が年末に起きた。

十二月十九日深夜、日本最西端の島、沖縄県与那国島の久部良港から、一隻の漁船が出港した。
船名「早希丸」5.9トン、乗員は請倉清一船長と新嵩喜八郎氏の二人である。
二人は、尖閣諸島付近で正々堂々漁師として当然の漁を行って、尖閣諸島が領土であるだけではなく、漁場としても日本固有のものであることを示したいと考えていた。

翌朝、尖閣諸島魚釣島付近に到着した彼等は、カジキやマグロのトローリング漁をしようとしているのを海上保安庁のセスナ機に発見され、尖閣南小島付近で海保巡視船「みずき」の臨検を受けた。

同海域は日本領海だが、国や県、海保などには日本漁船の接近を歓迎しない空気がある一方、中国の密漁船などが無法行為を繰り返していることで知られる。

このため、同船は「日本領海で日本漁船が漁をできないのはおかしい」と判断。
「強盗中国 我々の領土を荒らすな」という垂れ幕を掲げて操業していた。

すると、同日昼ごろ、巡視船「みずき」など海保の艦船2隻が近づき、海上で約2時間にわたって立ち入り検査や事情聴取が行われた。
乗船して来た海保職員の長時間の事情聴取や船内捜索、繰り返される停船命令等によって、彼等は全く漁の出来ぬまま、海保巡視船による監視の中、与那国島に戻って来た。

翌日も、海保職員による船内捜索や事情聴取が長時間行われ、忍耐強い二人も終に怒りを爆発させた。

その十日前、石垣市議の仲間均、箕底用一両氏が、尖閣諸島南小島に上陸していたから、海上保安庁は、再度の上陸行為を警戒したのかも知れない。
しかし、彼等は海保に発見される前、既に尖閣諸島に到着しており、上陸しようと思えば出来た。
彼等の目的は、あくまでも、与那国の漁師として、尖閣諸島周辺で漁を行う事だった。

しかし、八重山群島の漁業関係者として当然の権利を行使した今回の行動は、地上波テレビで全く報道されなかった。
石垣市議二人による尖閣上陸「事件」の方は、フジテレビを中心に、ニュースとして各地上波テレビや新聞等で報道されている。

この違いは何なのか、テレビメディアのニュース価値判断の基準が何処に在るかを考えてみる好例だろう。
恐らく、単純に尖閣に上陸したかしないかでニュースの価値判断をしたのだろう。

しかし、ちょっと考えてみれば、今回の行動が、日本にとって、最も合法的で平和的に、日本の尖閣諸島実効支配を世界にアピールできる最善の民間行動だったことがわかるはずである。
同時に、尖閣諸島周辺で行われている本末転倒とも言える海上保安庁による日本漁船の漁業活動に対する妨害行為を明らかにする報道が出来たはずなのである。

それをテレビメディアは気づかなかった。
気づいていたかも知れないが、知らぬふりをした。

日本のマスメディアは、戦後日本の「平和思想」=日本国憲法の前文の思想に拠っているからである。

戦後日本人は、「平和を愛する(はずの)諸国民(中国・朝鮮・ロシア・米国)の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
はずなので、海保はその通りの行動をして、平和を愛し、公正と信義を重んずるはずの外国(中国)の怒りを呼び起こしたり、トラブルを起こすかもしれない日本漁船の方を、取り締まろうとしたのだ。
マスメディアも同様に、だから報道しなかったのである。

すなわち、彼等は日本国憲法を守ろうとしただけということになる。

「平和を愛し、公正と信義を重んずる」中国を信頼して、「われらの安全と生存を保持しようと決意した」以上、漁業が出来なくても、領土が奪われても仕方ないということになる。

この本末転倒、倒錯した国防安全保障の状況が、今回の事件である。
本来は日本漁船の漁業活動を保護し、守るべき日本政府と海上保安庁が、日本国憲法の精神に従って、中国との「外交的トラブル」の発生を恐れ、本末転倒の日本漁船の活動妨害をした。
同様にマスメディアも、報道しなかったのである。

一月八日、その顛末を私の経営する衛星放送「日本文化チャンネル桜」は、三時間番組「緊急尖閣スペシャル 今、日本が守るべきもの」という形で放送した。
この放送によって、現在の尖閣諸島を巡る「警備状況」や八重山群島(石垣、与那国、西表、宮古島等)の漁業が事実上、政府と海上保安庁の「警備」と称する妨害によってほとんど行えなくなっている状況が明らかになった。

つまり、尖閣諸島周辺は絶好の漁場にもかかわらず、そこに行けば、海保によって停船命令や臨検(船内捜索)や長時間の事情聴取が繰り返され、本来の目的である「漁業活動」が妨害され、結局、船のガソリン
代や日当に見合う漁獲量を揚げられず、漁に行くだけ損をする状況が、政府と海上保安庁によって作られているのだ。

まさに事実上の「戒厳令」が日本国民に布告されているのである。
これでは、荒い波の中、尖閣諸島付近まで漁に出る漁師がいなくなるのは当然である。

本来、海上保安庁は、中国や台湾の漁船の違法操業、領海侵犯を取り締まり、日本の漁業活動を保護すべき政府機関のはずが、石垣や与那国の漁業を妨害するという皮肉な結果を生みだしている。まことに本末転倒の状況である。

この現実は広く日本国民に知らされるべき情報であり、本来、マスメディアが先頭になって報じるべきものである。
しかし、それは為されなかった。

実は、この貴重な事実は、最初は地上波テレビ局に持ち込まれ、広く国民に知らせるべく取材者や当事者たちから望まれていたのである。
しかし、地上波テレビ局は、様々な理由にかこつけて、この情報を報道しなかった。

この情報を私たちにもたらしてくれたのは、フォトジャーナリストの山本皓一氏である。

山本さんは、尖閣諸島のみならず、竹島や北方領土も含めて、日本の領土問題報道を長年続けている方である。

彼は今回、与那国の漁師たちが尖閣諸島周辺で漁業活動が困難になっている「自主規制」的な実態を知り、それを広く国民に報道すべく、請倉船長と新嵩さんと相談しながら、九月頃から準備を進めて来た。
単なる尖閣パフォーマンスに見られぬように、漁業活動に徹するため、自分は船に乗る事を断念し、与那国に待機して衛星電話で現場と連絡を取り合うことにしていた。
彼は日本国民としての立場をジャーナリストの功名心より優先させた。

こういうジャーナリスト魂が、少数ながら、まだ日本の独立ジャーナリストには残っている。
こういうジャーナリストやチャンネル桜を支えていただいている草莽の皆さんを思う時、日本もまだまだ捨てたものではないと思う。

そして、手前味噌になるが、もし、チャンネル桜を創立しなかったら、今の日本はどうなっていたかを想像すると、自分のやっている事が大筋で間違っていなかったことを確信する。
同時に、共に歩んでくれた皆さんへの感謝の気持ちで胸が一杯になり、その責任の重さを痛感する。

初心の草莽崛起の気持ちと西郷南洲翁の言葉を忘れず、歩を進める決意である。

命もいらず、
名もいらず、
官位も金もいらぬ人は、
仕抹に困るもの也。
此の仕抹に困る人ならでは、                    
艱難を共にして
国家の大業は成し得られぬなり。

(南洲翁遺訓より)

私達は、西郷翁の言う「仕抹に困る」メディアであり続ける。

私自身も、死ぬまで「仕抹に困る」人間であり続けたいと願っている。

共に「仕抹に困る」行動を歩まん事を。


small_ribon.gif教育現場から偽善を排すべき、という方はこちらの2つのボタンを押してください。
にほんブログ村 政治ブログ 政治家(議員)へninkiblogbanner.gif
blogram投票ボタン
スカウター : 荒川区議会議員小坂英二の考察・雑感        

posted by 小坂英二 at 00:00| Comment(4) | TrackBack(0) | 区政全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
憲法の前文については 敗戦直後に作られた憲法 改正すべきと誰もが思うこと 東京の街中にヘルメットを被った進駐軍のジープが我が物顔にスピートを出して走っていた時代変えない事が可笑しい
動画の中での船長の話では漁船は漁する範囲が決められている以外の所だったと言っていた ならば許可を貰う運動をしては 60年以上漁はしていなかたのか知りたい 猟師さんでない新嵩さんが乗っての漁を指摘されたのではなかったのではないですか 尖閣諸島は動画で見る限り大きな島ですから 海上保安庁の出張所{ヘリコプター基地}があって当たり前の所だと見ますが 今の状態で日本漁船が入る事は中国漁船とのいざこざを作る要因になると思う
Posted by 荒川躍進 at 2011年01月25日 19:07
そんなことがあったのか…とまたしても胃がキリキリ痛みます。

私の亡くなったじーちゃんが20年も前に「世の中がおかしいのは全てテレビのせいだ」と言っておりました。祖父は終戦時に立川で飛行機の整備の仕事をしていたそうですが、たくさん顔見知りが出来たが『誰一人』帰って来なかった、とのこと。祖父が泣いたのを見たのはもちろん最初で最後でしたので強烈に覚えております。「戦争に負けてあれほどの屈辱を感じてたいして時間も経ってない頃に「青い山脈」なんて下らない歌を歌いながら背広を着て自転車に乗ってる姿をテレビで見せつけられて。あんなのはアメリカに魂を奪われた象徴だ。あの頃からすでにテレビはよくないものだった」とも言ってました。青い山脈のくだりについては機微が全く分からないのですが、いずれにしろ今にして思うと祖父の言っていたことは正鵠を射ていたと思います。

尖閣の問題に限らず、20年前より更に悪くなった今の状況はじーちゃんには見せられないなぁ、と思うと同時に、自分がじーちゃん世代になった時、孫たちに恨まれることすらあるのではないかと恐れもします。上辺の綺麗事に惑わされない本質を見極める目を養うには何が必要なのか、みんなが真剣に考えなくてはなりませんね。いざこざゴタゴタどんと来い!と胸を張って言えるには占領憲法が重い足枷なのは間違いありません。
Posted by tnt at 2011年01月25日 23:38
科学的・論理的なことなら「話せば分かる」んでしょうけどね。
Posted by 匿名 at 2011年01月27日 12:03
>>荒川躍進 様
 その通りですね!米軍の軍事支配下におかれていた時に押しつけられた憲法は「占領地日本の占領基本法」に過ぎません。日本人が正気を取り戻し、あるべき憲法の姿を議論していくべきことを訴えて参ります。

>>tnt 様
 祖父様の言葉は重いですね。占領基本法は元来、独立回復時に破棄されて、代わりに正当な憲法を取り戻すべきであったのにそれを怠って来たから社会も乱れる一方だと思います。
 我々の世代で正常化せねばならない根本的問題、様々な場で問題提起をしていきます。

>>匿名 様
 そうですね。「何でも必ず理解し合える」という虚構を小さな時から教え込むのは正に偽善ですね。
Posted by 小坂英二 at 2011年02月05日 12:20
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック