拉致問題についての政府、マスコミ、警察、政治家、被害者家族の対応のここ数十年間の変化を詳しく話していただくと同時に、様々なエピソードを聞かせていただきました。断片的にですが、いくつかご紹介致します。(拉致問題全般についてはこちらの「救う会全国協議会」のページをご覧下さい)
・特に昭和52、53年に拉致が頻発しているが、この時点で警察は「北朝鮮による拉致である」とはっきり掴んでいた。それを表に出せなかったのは国会で議席の3分の1を占める社会党の親北朝鮮政策への配慮が有った。
・明らかに分かっている一例として挙げられるのが、昭和52年に拉致された「久米裕さん」(三鷹市役所で警備員として勤務)の例(概要はリンク先をまずご覧下さい)。
概要に加え、補足をいくつか。この頃から既に北朝鮮の不審船は頻繁に出没しており、警察も不審船の出現を確認するとKB警報(Korean Boat 警報)を関係者に発令し、注意を促していた。下記の夜にもKB警報が出ていたそうです。
先のリンクページでRと記載されている「李」という在日朝鮮人が北朝鮮にいる妹(帰国事業で北朝鮮に帰っていた)のメッセージを北朝鮮の工作員から渡された。「この人のいうことを聞かないと、私は大変な目に会う・・・」という内容。そのため「李」は工作員の指令のいいなりに動いた。その指令は「自分(工作員のこと)と同じような年恰好(この工作員が日本人に成りすますため)で、家族付き合いが無い(=拉致しても騒がれにくい)男を騙して石川県の海岸に連れてくる」こと。「李」は金貸し業をしており、久米さんはその顧客で金を借りていた。家族もいない。そこで「密輸をしてもうける話がある」と久米さんに声をかけ、旅館に宿泊手続き後、札束に模した新聞紙の束を袋に入れたものを渡し、石川県のここの海岸で取引をするからそこで待てと連れていき、そこから北朝鮮の工作母船から出てきた小船に乗せられ、拉致された。「李」は宿に帰って、部屋に残された久米氏の残した荷物で「久米」と特定できるものを全て処分。宿泊台帳には偽名で書かせていたので、北朝鮮の船が海上で日本側につかまらない限りは「自分がいっしょにいたのは久米氏である」ということが誰にも分からないと安心していた。
2人で海岸に行ったにも関わらず「李」だけが1人で旅館に戻ってきたことを不審に思った旅館の女将が、「お連れ様は?」と聞くと「他の旅館に泊まるといって出ていった」と「李」が答えたのでますます不審に思った。そこで、部屋においてあった久米氏の背広の裏に名前が刺繍してあるのを確認し、警察に届け出た。その後で、「李」は久米氏が特定できる物を処分した。背広の名前刺繍は焼いて読めなくした。(この時点で「李」本人はばれないように完全にうまくいったと思いこんでいる。)
「李」は取調べを受けたが、連れが「久米氏」であることは、警察も知るはずが無いと考えていた。なにしろ「完全に」久米氏を特定できる物品を処分したのだから。ところが、警察は「久米氏を騙してつれてきたんだろ!」と迫ってくる。「おかしい。これは北朝鮮の船が途中で捕まって仲間が自白し、久米氏も救出されたんだろう。」と勝手に観念し、「李」は全て洗いざらい自白した。(実際は北朝鮮の船は捕まっておらず、久米さんは拉致されているのですが・・・)。自白により北朝鮮による拉致で有ることは明白となった。
・同様に北朝鮮によるのが明らかな拉致事件が昭和52、53年に頻発したが、その関係県警と警察庁は様々な政治的判断から、そうしたことを公開しないことを決定した。
・昭和51年には金正日による「工作員の現地化徹底指令」が出されている。工作員を現地人(韓国や日本)になりすませるように様々な活動をしたが、その一環が拉致。
・昭和50年代前半に頻発した拉致を闇に葬った警察も、10年後には課題として取り組み始めた。一つのきっかけは大韓航空機爆破事件。この頃には梶山静六氏が国会答弁でも「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」と述べるということもあったが、今度はマスコミは、重大なことであるにも関わらずほぼ無視で記事として取り扱わなかった。また、政治の側も動かなかった。政治とマスコミが動き出したのは平成に入ってから。
・拉致問題がここまで解決しなかったのは「国際社会できちんと主張しなかったから」「北朝鮮に誠意を示しても、誠意が帰ってくるような対象ではないことを認識していなかったため、政府は食糧援助などをしてきた」
・安部晋三氏が官房長官に就任後、拉致問題や北朝鮮への圧力をかける取組みが進み出した。しかし、次期総理が仮に福田氏になるようなら、取組みは大幅に後退すると思われる。北朝鮮による拉致被害者が5人一時帰国した際に、安部氏や中山参与が「拉致という犯罪で連れ去られた方々が日本に戻ってきたのだから、いくら北朝鮮が「一時帰国」という扱いで日本に帰国させたとはいえ、このまま北朝鮮に戻したら帰ってこられる保証は無い!」と北朝鮮に戻すことに強行に反対したのに対して、当時官房長官であった福田氏や外務省の田中局長は「北朝鮮は一時帰国という扱いだから返してくれたのだ。約束通り、5人を北朝鮮に送り返す。」と主張。結局は北朝鮮に戻されずに済みましたが、北朝鮮に戻していたら、いまごろ5人は・・・。福田氏はそのような人物である。
・日本での民潭と朝鮮総連の「和解」は民潭に対する韓国本国(極めて北朝鮮寄りの大統領が統治・・・)からの指示に基づくもの。民潭は多額の援助金を在日韓国大使館より受けている。先日選挙が行われて決まった、民潭の団長はかつて朝鮮総連に所属し、朝鮮学校の教師もしていた。そのような人物が民潭に団長になれたのは、韓国大使館の後押しが有ったから。また、その団長選出後に就任した副団長はベトコン派と呼ばれる北朝鮮寄りのグループの構成員。先日の和解文書は民潭では団長とその北朝鮮寄りの副団長だけが知る範囲で決定し、発表された。地方支部に相談も無ければ、幹部会で広く議論がなされたわけでもなく、韓国本国の北朝鮮支援の指令を受けて、独断で実効された。(この問題については5月30日の産経新聞の「正論」)に詳しく書かれています。
まだまだ、書きたいことが沢山有りますが、このあたりで・・・。100分間程度の勉強会は非常に密度の濃いものでした。
質疑応答で小坂から@「昨年夏、万景峰号の入港抗議に行ってきたが、現在の政府の積荷検査はどこまで厳重におこなっているのか?また、スパイ指令を出す役割を担う人物が行き来しているのか、現状をどのように捉えていらっしゃるか?」とA「政府が断固たる措置をとることが、何より重要だが、世論の盛り上げもまだまだ大事。米国で横田めぐみさんを題材にした映画が作成されたが、国民大集会のような政治集会や写真展とは別のアプローチで映画を上映する(「政治の集会はちょっと気が引ける・・・」という方も映画を見るだけなら参加しやすい)ことで世論を盛り上げることは、協議会としてどのように考えるか?」の2点を聞きました。
答えは
@「過去とは違い、現在の港での荷物検査はネジ1本まで見逃さない。不審なものは運べないだろう。ただ、スパイ指令を出す人物の行き来には使われている。」
A「映画を上映するには、配給元に多額の費用を出さねばならず、その費用は賄いきれないので、現状では考えていない。政府を動かすことに重点を置いて活動していきたい。」
北朝鮮による拉致被害は世界中に存在します。また、北朝鮮は拉致問題解決に取り組む側の分断を常に狙っています。甘い考えは捨てなければ問題の進展はあり得ません。(参考記事)。経済制裁はもちろんあらゆる手段(武力も選択肢に含む)を講じて、圧力をかける続け、北朝鮮の金正日支配を瓦解させる取組みが政治に求められていると考えています。
北朝鮮へは圧力をかけつづけることが不可欠、と考える方はこちらを押してください。