いわき市(福島県)の避難所から「不足している救援物資を届けて欲しい」との要請を受けて、トラック3台(4トン2台、2トン1台)とワゴン車2台で、草莽全国地方議員の会・頑張れ日本全国行動委員会・日本文化チャンネル2千人委員会有志・(報道:日本文化チャンネル桜)の15人で現地へ急遽届けることに。
そのうち、地方議員は、小坂と松浦芳子杉並区議、二瓶文隆中央区議、犬伏秀一大田区議の4人。
兎に角、急に決まったので、三連休で予定していた仕事の段取りを付け、政務会合、少年野球の卒団式欠席でメッセージを送ったりとで朝の5時に。7時まで2時間程寝てから、荷物の積み込み場所の東阿佐ヶ谷(杉並区)へ。
トラックやワゴンの集合が遅れたのですが、ガソリンや軽油の給油に時間がかかったからです。
多くの有志から寄せられた軽油や灯油、水、食料、生理用品などなど、まず、最初の積み込みを行いました。
その後、第二の積み込み場所であるドンキホーテ世田谷店にて、大量の水を積んだトラックと合流して、一路、最初の訪問地であるいわき市(福島県)へ。
最初のトイレ休憩をした守谷パーキングエリアにおいて、声をかけられました。トラック等に貼られた「緊急物資輸送」の文字を見て「いわき市の友人のことを想い、様々な物資を車に積み込んで走って来たが、一般車ではいわき市までは届けられない。代わりに届けて欲しい。」とのこと。
「特定の誰か」ではなく「役に立てば、誰でも良いので使ってほしい」とのことで、トランクと後部座席一杯の日用品・食料を預かりました。
さらにそうしていると、別の御夫婦から「私達からも渡したいものが有る」と声をかけられ、様々な物資をいただきました。全く、予想していなかった善意の出会いに感動することしきり。素晴らしい助け合いの心が厳然と存在します。日本には。
常磐自動車道は水戸から先は「報道」や「緊急物資輸送」「復興・救援」などの許可を得た車のみが通行できることになっていました。前の2つの項目で許可を得ていました。道路に少し隆起が有り、走行には注意が必要ですが、無事にいわき市に到着。
いわき市内はたまに壁が崩れたり、道路の隆起などは有るものの、注意すれば順調に走れる状態。家も店舗も多くが損傷無く残っています。
しかし、ほとんどが閉店しており、道路を走行する車もごくわずか。信号は動いています。海岸部の一部地域は大きな直接被害を受けましたが、いわき市の大部分が受けた被害は「断水」や「福島第一原発事故への恐怖による住民の避難」であり、街としての機能が麻痺していると感じました。
いわき市の8割では断水が続いていますが、電気はおおむね無事。経済活動がかなりできる状態である地域・店舗も有るのですが、客も来ない、従業員も逃げて不足する、あるいはいない。コンビニ、スーパーも閉店、物資も入って来ない。
そうなると地域住民も「日常の食料品も買えず、仕事も続けられない」ので、ますます、燃料と車の運転という移動手段を持つ人達(若い方が特に)が市外に出てしまう。結果、残って行くのは高齢者が高い比率を占める訳です。
そうした背景の中、避難所ではないものの、高齢者施設では様々な物資が足りなくなっていました。
最初にいわき市の中央台南小学校へ到着。ここは福島第一原発事故による避難指定地域から避難をされてきた双葉郡楢葉町の方々が避難所生活をされています。ここで灯油などをお渡しして、から福島県いわき地方振興局の有る合同庁舎前へ。
そこで二瓶辰右ェ衛門局長(何と、いっしょに行った二瓶文隆中央区議の従兄弟!)に案内をしていただき、次の目的地である特養ホーム「楽寿荘」へ。福島第一原発から34キロの場所に位置する為、避難指定区域外であるのに物資が届かないとのことで、困っておられました。水をリレー形式で運び、様々な物資をお届するととても喜んでいただきました。
そこの特養ホームのすぐそばまで津波は迫ってきていたようで、その形跡も生々しく残っていました。
次に向かったのが有料老人ホーム「いわきふるさとの楽園」。こうした施設での水の不足は健康悪化にも直結するので、本当に喜んでいただけました。
この施設が位置する町内会の区長にも、ボランティア有志から状況をお聞きし、集会事務所へも運び込み。リレー形式での水の輸送にも相当慣れて来ました。
その後、3台のトラックのうち、2台を空にすべく荷物を積み替え、ワゴン2台とトラック1台に集約。2台のトラックは東京へ戻って行きました。作業が終わったのは22時頃。
明日は5時出発で仙台市へ。
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