2011年04月10日

泥と破壊された家具の運び出し(気仙沼市)

 my日本有志8人のうちの一人として参加した、気仙沼市への支援活動。

 今朝は「東京から預かってきた物資を必要な場所に届ける」役と「ボランティアセンターに9時までに行き、泥や破壊された家具の運びだし」をする役の二手に分かれて活動。
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 小坂は「泥や破壊された家具の運び出し」をさせていただくことに。

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 ボランティアセンターは宮城県気仙沼市東新城2-2-1の「気仙沼市民健康管理センター」に設置されています。当然ながら、食事、宿泊先、交通手段などは、各自で確保していただき、自己負担となります。(詳しくはこちらをどうぞ)。
 その前提を満たして、常識と健康な体が有であることを前提に、朝9時までにボランティアセンターに行けば、男女問わずお手伝いをすることが可能。現場に行って判明したこと。

 今の時期は、まだまだ圧倒的に人が足りません。可能な方は是非、様々なものを自己調達しながら、お手伝いをいただければ幸いです。
 写真は、ボランティアや必要な機材を現場に運ぶ現地の運転手や車両の管理表。

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 スコップ、バール、ゴム長靴、様々な装備が用意されています。

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 防塵マスクも大量に有ります。装着してきた花粉症マスクに加えて二重で使いました。後程、これがどれだけりがたいものか実感・・・。

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 気仙沼市ボランティアセンター事務局の一部。トレーラーハウスのように車輪がついていて、移動が可能な建物(?)

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 気仙沼市南郷の気仙沼警察署近くの現場へ到着。この写真は瓦礫の集積場。
 
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 気仙沼市ボランティアセンターから6人で一つの班を編成。うち2人はmy日本の有志で、その一員として参加。気仙沼市の方、北海道から来た方、奈良県から来たリーダー役、関東から我々二人・・・。各地から有志が集っての作業。気仙沼市だけで、毎日100人〜200人のボランティアが活動しているようです。

 ここが「泥の掻き出し」「破壊された家具の運び出し」を依頼してこられた一軒家。自家用車が柱にめり込んでいます・・・。
 このお宅は1階の天井部分まで津波で浸かったものの、2階の床の表面はなんとか無事でした。しかし、ライフラインが欠けているため、昼間は戻ってきても、夜は避難所生活。

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 作業中は軍手とゴム手袋を二重にし、手足、体も全身泥だらけなので、その様子を撮影することなど、とてもできる状況では有りませんが、休憩時間に入った時に、泥まみれの風呂場の様子を撮影・・・。
 破壊された家具、私物の運びだしと泥の掻き出しを交互に行い続ける作業・・・。洗濯機、冷蔵庫、箪笥・・・運び出しには多くの人手が必要になります。
 作業中、突然、水が洗濯機に繋がれていた水道から吹き出しました。どうやら、水道が復旧したタイミングだったようです。気仙沼市水道局の方が来て、「水が出たか?」と確認をされてました。
 その際に「くれぐれもマスクをしっかりしてほしい。このあたりの泥は内湾の様々な菌を含んだ泥の有害なものも多い。実際に肺炎も増えている。うがいも徹底してほしい。」とアドバイスをいただきました。
 花粉症用マスクと防塵マスクに加えてゴーグルをして泥の中で作業を続けていると、汗でゴーグルの中は曇り、結露。マスクは目詰まりを起こし、段々息を吸うのが苦しくなり、最後には息を吸うとペコペコへこむ状況に・・・。 

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 6人のボランティアではとても足りないので、本部へ「早く終わりそうな班に増援を頼む」とボランティアリーダーが要請。しばらくしてきてくれたのが、「東京都ボランティア」9人。こちらのページに記載の通り、東京都の募集に応じて現地に派遣してこられた方々。うち若い女性も3人。
 今後、東京都からのボランティア派遣も拡大される方向だとか。

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 6人+9人の合計15人で作業。朝9時半から作業をしていた小坂を含む気仙沼市ボランティアセンターから直行組は15時まで作業を行い、本部に戻りました。
 「東京からの東北の支援に、今後も息長くやってきます」とそのおうちの方に誓い、戻って参りました。
 区議選が終了したら、東北にまた来ます。息の長い支援が必要ですから!

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 近くのセブンイレブン。「東京からも応援を続けます。共に頑張りましょう!」と声をかけつつ、話を伺いました。
 店内は津波で流された後、がらんどうの店内にプラスチックの箱を置き、飲み物やサンドイッチ、漫画など限られた品揃え。でも、頑張って店を開けるぞ!という意気込みに溢れていました。ラベルの無いペットボトル飲料(津波で流され、破れたか汚れてラベルが無い模様)も。それを2本、購入。

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 復興に向けてやらねばならないことですが、切ない作業でした。生活で使っていたあらゆるものが泥にまみれ、それの要不要を聞き、ながらどんどん捨てていく・・・。洗えれば使えるものも、思い出がつまっているものも、取っておきたくても最小限しかできない・・・。
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 迎えの車に乗り、ボランティアセンターへ戻る。ボランティアセンターに戻る道すがら、丘を一つ越えます。その丘の向こうは津波の被害が無い地区で、日常的な風景・・・。
 ボランティアセンターにて水で泥を徹底的に落とせればよいけど、水が冷たい・・・。

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 ボランティア用のゲルが近くの空き地に設置されていました。続きは明日のブログ記事に書きます。
 家の中が泥まみれになり、家具は使用不可能に、という家が東北各地に多数にあります。15人がかりで一つの家で作業をしていました。かなり作業は進みましたが、まだまだ手つかずの家が多数あります。

 これからもこうした現場でお手伝いをすることを、すそ野を広げながらやっていきたいと考えています。

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スカウター : 荒川区議会議員小坂英二の考察・雑感
posted by 小坂英二 at 00:00| Comment(7) | TrackBack(0) | 区政全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
関東は余震が続いています、
そちらもどうかお気をつけて下さい。
Posted by TOMIN at 2011年04月11日 21:30
小坂さん。ご支援ありがとうございます。本当に頭が下がります。3年程前に実家の家族旅行で気仙沼の大島へ行きました。仙台の実家から塩釜、松島、石巻を抜けて行きました。今は亡き母方の祖母と最後に旅行した思い出の地でもあります。港のお土産屋さんでイカの塩辛をたくさん買い込んだ覚えもあります。あの建物が、、、と思うとやるせない思いであります。私も時間を取ってお手伝いに行きたいのですが、今はなかなか思うに任せません。仕事が落ち着いたら私も手伝いに行きたいと思います!
Posted by tnt at 2011年04月11日 22:25
先週、わずかですが物資を提供させて頂いた者です。
本当にお疲れ様です。
次回、被災地に行かれる際も、また
わずかではありますが物資をお持ちしようと思います。
Posted by at 2011年04月12日 15:17
小坂さん、活動お疲れ様でした。
現地の様子がとてもわかりました。
知人にもこの様子をお伝えしたいと思います。
それによって、少しでも助け合いの和が広がれば・・・幸いです。
Posted by 区外の者 at 2011年04月12日 23:59
気仙沼の現場でお手伝いさせていただいた者です!私たちは11日に都内に戻りました。テレビ越しで映像はみていたものの、実際に足を運んでみるとことの大きさの実感がわいてショックでした。においもありましたよね…。途方もない作業に思えるけど、やらなきゃ終わらないし小さな積み重ねが大事なんだなと感じました。泥まみれになりながら作業されていた小坂さんをみて、こうした議員の方が沢山いればいいのにと思いました!荒川区民ではないですが、応援しています。
Posted by 都ボラ派遣者 at 2011年04月13日 07:09
小坂議員、支援頂いた皆様、ありがとうございます。
実家が仙台で東北地方に親戚、友人が沢山おります。
気仙沼も大好きで帰仙する度行っていた所です。
自分も近々帰仙し、微力ですが出来る事をして参ります。
スリランカの方々も炊き出しに来て頂いたんですね。
本当にありがたく思っています。お体ご自愛下さい。
Posted by buru-ri- at 2011年04月13日 17:34
>>TOMIN 様
 油断できない余震が続きますね。関東においても最高限度の警戒をせねばなりませんね・・・。
 防災対策には土地や建物の在り方について、公にもっと強い権限を持たせることが不可欠と考えています。

>>tnt 様
 思い出の場所なのですね・・・。現場にいると、ぶつけようのない怒りと悲しみを感じます。日本全体がチームとなって国難打開に尽力せねばなりませんね・・・。

>>04月12日 15:17 にコメント下さった方へ
 支援物資をお持ち下さり、本当に嬉しかったです。確かに、お届け致しました。選挙が終わったら、また泥と家具の掻き出しなどにももっと時間をとって行きたいと思います。仲間と共に。多くの教訓を得ながら、現地の復興へ少しでも役立てればと願っています。

>>区外の者 様
 こうした作業は本当に人が足りていません。是非、広く伝えていただき、助け合いの輪を広げていただければ嬉しいです。ありがとうございます。

>>都ボラ派遣者 様
 本当に、お疲れ様でした。気仙沼ボラセンから参加した6人は全国各地から来てましたが、その現場で東京都のボランティアの姿をお見かけしてとても頼もしく、同じ都民として「同志がこんなにいっしょに来てくれているんだ!」と心強く思いました。
 力のある男性は大型家具の運び出し、女性は中型、小型の家具や雑貨、泥の掻き出しなど分担しながら活動しておられた都からのボランティアの方々の姿、目に焼き付いています。これからも、息の長い支援を東京の議員としてしていかねばと思っております。

>>buru-ri- 様
 御関係も深く、思い出深い場所なのですね・・・。被災地を見て、何気ない日常を平穏に暮らせることがどれだけありがたく尊いことが、改めて実感しました。欲望膨張ばかりをあおり続けてきた社会、今こそ、「足るを知る」という言葉を心に置く必要があると感じています。
 今後も東北地方の東側沿岸に継続的に支援に入りたいと考えています。
Posted by 小坂 英二 at 2011年04月15日 01:30
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