愛する者が住む祖国日本を守りたいとの気持ちで命を散らしていったこうした方々のことを多くの者が忘れ、あるいは故意に無視し、利己主義、刹那的な生き方が目立つ日本となってしまったこと、英霊に対し本当に申し訳無いという気持ちで一杯です。戦争中、こうして命を燃やしきった若者がいたことを、映画を通じてでも一人でも多くの方に思い起こして欲しいと心から願います。
日本の行く末を憂いながら命を投げ出した英霊に感謝の気持ちを奉げることは当然のこと、と考える方はこちらを押してください。
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ここ数年、国家と個人のあり方を考えさせるような映画が立て続けに作られていますね。
それだけ国民の意識が変わってきているということでしょう。
僕が最初に意識の変化を感じたのはアメリカのTVドラマ「24」が日本でヒットしたときです。
有名なのでご存知かと思いますが、テロ対策ユニットに所属する主人公が、周囲と対立しながら型破りなやり方でテロリストと戦うストーリーです。
このドラマで目を引いたのは主人公が、自分を犠牲にしてでも国家を守ろうとする愛国者である点です。
これまでこの手のドラマでは、周囲の人たちが組織や国家を重要視し、そこに個人主義を重要視する主人公が入っていくというものでした。
それがこのドラマでは逆で、主人公が愛国主義、周囲が(組織を重視しつつも基本的には)個人主義なのです。
ドラマに限らず、エンターテイメント業界というのは、現実よりちょっと先をいかねばユーザーに支持されないものです。
このことから、この逆転は、いままで個人主義に振れていた時代の振り子が逆側に振れ始め、人々が国家と個人との関係を再考しはじめたことの表れなのではないかと思うのです。
日本映画界は長らく冬の時代が続いていましたが、最近復活傾向にあります。
そんな中でも、ご紹介の映画の制作に携わるような志の高い映画人たちは、率先して支持していきたいと思います。
興味深い分析ですね。確かにご指摘の通りかもしれません。関係者の努力には頭が下がりますね。
申し開きの出来ない大日本帝国の恥部であり、これ
を美化するのはかなり無理があると思います。
戦後の国家に対する不信もこの国民を鉄砲玉としか
考えなかった愚行がかなりの傷を残しているためと
思います。(民衆を鉄砲玉ところか盾にした中国
はさらにその上を行きますが)
自衛隊の戦闘機は敵地攻撃を出来なくする為に燃料タンク
を半島への片道分しか積めないようになっている
といいます。
本当に北と戦闘状態になった時、自衛隊員は基地
攻撃に片道特攻しなくてはいけなくなります。
国民の信頼を裏切る国家の根はまだ残っていると
思います。
国民の国家への信頼を取り戻せるか、安部政権
には期待してます。
現在の自衛隊が置かれている異常な状態についての危機感は全く同感です。この映画が描いているもの、あるいは、私が述べているのは「自分が犠牲になっても古里や愛する人達、祖国を守りたい」と考え犠牲になっていった隊員達がいたこと、そうして亡くなっていった方のことを忘れずに、現在の日本を誇りを持てるような社会にする努力が必要ということです。
特攻の作戦を美化するとったものではなく、隊員個人の心への感謝をしその存在を忘れずにいるべきだと思うのです。