小野町は大東亜戦争時に荒川区立尾久西小学校の児童が疎開でお世話になっていた縁も有り、荒川区との縁も深く、視察団を市長、議長が温かく迎えてくださり、震災の時の近隣の自治体の厳しい現状も含め詳しく話をして下さいました。
町長(写真左)からは、荒川区とも防災協定を新たな形で是非、結びたいとの強い気持ちもお示しをいただきました。
説明を受けた場所は町議会の委員会室ですが、会議机を並べたとてもシンプルな部屋。
本会議場もシンプルです。。今までに様々な地方議会の議場を見て来ましたが、ここまでシンプルな委員会室・議場は初めて見ました。これで十分だと思います。
余談ですが、「高校三年生」を作詞した丘灯至夫氏の実家である旅館が尾久西小学校の児童の疎開先であったそうです。記念館も町内にあるようです。
今日の視察の目的は「非常時(震災時)における地域防犯対策の取り組み」です。
今日もパソコンを持ち込み、気になった点を書きとめる意味でも、こちらに掲載させていただきました詳しい説明とデータもいただいたのですが、それは省略。
◎震災後、数日間は町内の全ての店から食料品等が消えた。炊き出しを行ったが、それを必要な方のところに届けるガソリンも無かった。
◎町議会議員は被害状況調査、国、県、国会議員、東京電力等への陳情・要望活動のみならず、全職員への支援物資の提供と昼食時の炊き出しの提供なども行った。
◎災害瓦礫の集積は12月10日現在約500t
◎町として倒壊危険家屋の除去事業を行っている。
半壊以上罹災家屋の内、倒壊の危険がある物件について町による除去を開始(56棟予定)
◎一部損壊住宅への修理費補助の実施(町独自で上限20万円まで)
「一部損壊」に対しては国、県、日本赤十字からの義捐金が支払われないため。
◎防災ラジオ購入費の補助(購入費用の半額まで)
防災無線では周知の効果が低いため(家屋の密閉化、難聴地域の存在等)
1台12,000円位だとのこと。
◎平成24年1月から施行される特措法に伴い、町内の除染に関する計画を策定中。
◎自主避難の際の指針などもなかったので、それを明確にした上で、町民に徹底して伝えていくことも今後の災害時に必須であり、しっかりとやっていく。
◎小野町においては、震災後の凶悪犯罪は特に目立ったものは無い。空き巣などは有るが、それも他地区に比べると少ない。消防団の細かいパトロール、全国の警察の応援を沢山いただいたことが大きい。
◎食料が市中の店舗で有る程度、普通に入手できるようになったのが2,3週間後。4週間後には完全にそうした面は復旧した。
◎海岸部からの御遺体を火葬する際の燃料も足りなかった。ドライアイス、棺も足りずで遺体処理に困難を来たした。
◎災害ボランティアについては、放射線への恐れから怖いとのことで、少なかった。
聞き取りと質疑応答、昼食後、視察団はマイクロバスで郡山駅へ向かい、新幹線で帰京されましたが、小坂は小野町で別れて、40分間小野町を40分間歩きまわってから小野新町駅から磐越東線に乗り、いわき市へ。その後の報告は明日の記事で。
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