8日は仙台市で同志の渡邊拓氏の法事へ参列した後、納骨も立ち合わせていただきました。渡邊氏によって沖縄の遺骨収集で掘り出された御英霊の御遺骨(詳細はこちら)への感謝の祈りも同時に・・・。
関東から車を出していただき、共に宮城県入りをした柿沼貴志行田市議と共に渡邊氏の自宅で語り明かしてから、9日は3人で石巻市へ。
朝9時過ぎに被災地石巻市内へ到着。現地を案内して下さる予定の、石巻市政を目指す阿部利基氏との合流前の時間を利用して、パチンコ屋の視察。店内は朝から多くの客が入り、とても賑わっていました。
大震災の後、パチンコ業界の自主規制のタガが外れて、営業時間は朝早くから深夜に延長されているようです。早くは朝7時から夜は24時頃まで営業する店もあるとか・・・。被災地にパチンコが蔓延している現状を是正せねば、依存症という闇にどんどん深入りをしてしまう一方です。
被災3県でのパチンコ屋の営業停止を本来はすべきなのに、それとは逆の方向に鳴っている現状。政治や社会の現状であり、こうしたことを是とする政治屋を選んでいる国民が問題意識をしっかりと持てるように、パチンコの恐ろしさを訴えて行きます。
石巻市内では、ところどころ、こうした瓦礫置き場が点在しています。
富山県氷見市から寄贈された書籍を市内の小学校の児童に配布する作業があるとのことで、搬送のお手伝いを。
石巻市立渡波小学校は稲井小学校に隣接した土地に仮設で設置されています。
遠方からの通学はバスで。このバスは公費ではなく、父兄が出し合ったお金で賄われているそうです・・・。
プレハブの校舎内には全国から寄せられた励ましのメッセージが張られていました。
その後、石巻市鮎川町地区へ。車内から途中、撮影した波しぶき。波消しはあるものの、地盤沈下の関係から海岸からの波が道路に直接かかるような状況です。
途中で通る集落・・・。海岸部は本当に何も残らず、地盤沈下で手もつけられない場も多い状態です。
鮎川町地区の仮設商店街。ドイツのジェンという国際緊急援助団体の支援で設置された建物です。16区画に店が入れるようになっており、特産の鯨肉のお店なども。昼間は閉まっている店が多かったです。
一つの建物の中に8店舗。建物は2つ。そのうちの一つの鯨肉のお店の方が、島武少佐(アンガウル島守備隊 歩兵第五十九聯隊第三中隊 陸軍少佐)の御親戚であることがわかり、菩提寺も教えていただきました。4人で墓参させていただくことに。
お墓の横には、玉砕地のパラオから持ちかえったサンゴがいくつか捧げられていました。感謝と決意の墓参をさせていただきました。
とても慌ただしくお手伝いと現場視察をさせていただきましたが、石巻市はパチンコに蝕まれていました。聞けば、全国でも人口あたりのパチンコ依存度が高い地域だそうです。
「パチンコ依存症」(こちらの記事を是非、お読み下さい)という不幸を量産することが前提で成り立っているパチンコのお店が出しているこの看板・・・。パチンコによって「完全復興」ではなく「完全不幸」が量産されてしまう現実を広めていかねばなりません。
現地では、複数の同志とも再会、あるいはネット以外で始めてお会いさせていただいて意見交換をする時間も複数いただき、東京からのお手伝いの在り方のヒントも教えていただきました。
被災地でのパチンコ依存症の蔓延を防ぐために政治が責任ある決断をすべき、という方はこちらの2つのボタンを押してください。