小坂の本会議一般質問の出番は20日(月)13:00から。残念ながら年に一度しかできない、貴重な機会なので、こちらの質問通告の項目の通り、重要な問題提起をさせていただく予定です。
さて、明日の夕方に愛国同志と共に、地域に縁の深い御英霊の墓所にお参りに伺おうと考えております。21歳で散華された御英霊です。
★塚本 太郎 海軍大尉
(東京 兵予4期 金剛隊伊48潜 昭和20年1月12日 ウルシー海域金剛隊で出撃 突入 戦死)
東京 兵予4期 金剛隊伊48潜
昭和20年1月12日 ウルシー海域金剛隊で出撃 突入 戦死
(塚本太郎海軍大尉について、以下、こちらのサイト(回天部隊におられた故・小灘利春海軍大尉が集められた膨大な資料がまとめられています)から転載致します。)
慶応在学中、雨中行進で知られる昭和18年10月21日の明治神宮外苑競技場での出陣学徒壮行会に
参加した後海軍に入隊し兵科四期予備学生となった。
水雷学校の魚雷艇学生から志願して19年9月、回天搭乗員となり第一特別基地隊大津島分遣隊に着任、操縦訓練に入った。
体格が立派で背が高く、色白でもあるので、搭乗員一同が研究会や食事で顔を揃える大津島の士官室ではいつも目立つ存在であった。
慶応時代は水球部員で、名ゴールキーパーとして人に知られていた。
持ち前の強健な身体の上に研鑽を重ね、壁が立ちふさがる様な立ち泳ぎで次々とゴールを襲うシュートを跳ね返して守り抜き、見方を勝利に導いたといわれる。
その披、塚本太郎少尉は、回天特別攻撃隊の第二陣金剛隊の縞成に当たり、四期予備士官の先頭を切って出撃搭乗員に選ばれた。
最新鋭の伊号第四八潜水艦に乗り込み、昭和二十年一月九日大津島基地を出撃、敵の大艦隊が終結するウルシー泊地に向かった。
指令どおり一月二十一日の黎明時、四基の回天が発進して敵泊地に突入した事は、同日早朝、米軍指揮官が警戒警報を発令したのを傍受しているので確実と判断されるが、母潜水艦が未帰遺となったので、戦闘状況は不明である。
伊四八潜は二十一日の夜になって同島西方で敵飛行機に発見され、駆逐艦群の執拗な追跡爆雷攻撃が続き、二十三日午前、遂に沈んだ。
彼は戦争中の当時、出陣に際してレコードに自分の肉声を吹き込んで遺していた。
先年御遺族が偶然発見し、NHKテレビでも放映されたが、祖国日本に生命を捧げる真情と共に、父母、弟妹への切々たる愛情を吐露し、「さようなら」と別れを密かに告げていた。
東京都北区田端の実家は戦災に過っていたが、両親は焼け跡に近所の支援もあり、その頃としてほ立派な風呂屋を開業し「太郎湯」(小坂注:こちらに写真有り)と名付けた。
入り口には彼のモットーであった「己の為には汗を流し 人の為には涙を流せ」の言葉に、「皆さんの汗ほ太郎湯で流す」と加え掲げられた。
ゴールキーパー姿のレリーフが後に水泳部の仲間達によって贈られ、番台の上を飾った。
このレリーフは現在、日吉の母校慶応大学水泳部の合宿所に置かれ、後輩たちを見守っている。
没後海軍大尉に特進、また功三級金鵄勲章、勲五等雙光旭日章を授与された。
彼が折に触れて家族に書き送った手紙に記された数多くの短歌、俳句は、現在も種々の刊行物に掲載され、彼の名をこの世にとどめている。
(転載終わり)
海の特攻、回天についてはこちらのサイトと下記動画をご覧下さい。
北区田端という極めて近い場所で生まれ育って21歳で散華された、また、小坂の母校の大先輩でもあります。
塚本太郎海軍大尉が吹き込まれた肉声は、靖国神社の遊就館と呉市の大和ミュージアムで聞くことができますが、こちらのページの中ほどにその内容が書かれていますので、是非、お読みいただければ幸いです。
その墓所が日暮里駅近くの「谷中霊園」に有ることを知り、愛国同志と共に墓参をなんとしてもさせていただこうと、場所を明日にでも何とか確認して、感謝の祈りを捧げて参ります。
広大な谷中霊園の中で手がかりはこちらの写真(サイトの一番下の部分)
私の所属する日本創新党の山田宏党首が杉並区長時代に成人式で御英霊の遺書を読まれていた(こちらのブログ記事でご報告しております)のですが、この遺書も塚本太郎海軍大尉のものであり、そこにも何か御縁を感じました。
塚本太郎海軍大尉のご遺族へのインタビュー映像が、こちらのNHKの戦争証言アーカイブの映像から見ることができます。
以下、塚本太郎海軍大尉の遺書です。
「出陣に際して」 海軍大尉 塚本太郎命
父よ、母よ、弟よ、妹よ、そして永い間はぐくんでくれた町よ、学校よ、さようなら。
本当にありがとう。こんな我ままものを、よくもまあほんとうにありがとう。
僕はもっと、もっと、いつまでも皆と一緒に楽しく暮らしたいんだ。愉快に勉強し皆にうんとご恩返しをしなければならないんだ。春は春風が都の空におどり、みんなと川辺に遊んだっけ、夏は氏神様のお祭りだ。神楽ばやしがあふれてる。昔はなつかしいよ。秋になれば、お月見だといってあの崖下に「すすき」を取りにいったね。あそこで、転んだのはだれだったかしら。雪が降り出すとみんな大喜びで外へ出て雪合戦だ。昔はなつかしいなあ。
こうやって皆と愉快にいつまでも暮らしたい。喧嘩したり争ったりしても心の中ではいつでも手を握りあって――然しぼくはこんなにも幸福な家族の一員である前に日本人であることを忘れてはならないと思うんだ。
日本人、日本人、自分の血の中には三千年の間、受け継がれてきた先祖の息吹きが脈打ってるんだ。 (中略)
至尊の御命令である日本人の血が湧く。永遠に栄あれ祖国日本。
みなさんさようなら――元気で征きます。
(転載終わり)
それぞれの地域に、御縁の深い御英霊がおられると思います。靖国神社で感謝の誠を捧げると同時に、自らの地域の御英霊について調べ、感謝と決意の祈りを捧げることも大切にしていきたいと思っております。
それぞれの地域の御英霊に感謝の祈りを捧げていきたい、という方はこちらの2つのボタンを押してください。