11日の23:59に新宿駅前発の夜行バス(行きも帰りも片道2,200円!)で熟睡すると、仙台駅前に朝5:30に到着。駅前ビルVIVIのマクドナルド(カウンター席では電源が無料で貸し出し中)でパソコン作業をしてから、10時過ぎに石巻市・金華山訪問団の現地集合場所の駅前バス駐車場へ。
一路、石巻市へ向かいました。市街地のあちこちに瓦礫置き場が有り、その量が半端ではありません・・・。
石巻市・金華山訪問団は3月28日のブログ記事「日本・インドの関係強化へ(石巻市訪問・東京での催し)」に書いた通り、「日本良い国構想研究会」が事務局となり、日本創新党の山田宏党首を先頭に日本側の有志と共に、インドの精神的指導者であるシュリ・シュリ・ラビ・シャンカール師と御一行の二十数名で構成され、小坂も現地合流での参加をさせていただきました。
山田宏党首のHPのこちらの記事(是非、お読みを!)に記載の通り、平成21年11月9日の世界的な経済誌フォーブズ(Forbes)誌でも、シュリ・シュリ・ラビ・シャンカール師は「インドで最も力のある7人」の5位にランクされています。同誌では、1位がソニア・ガンジー(国民会議派の政治リーダー)、2位がシン首相、4位がタタ自動車のタタ会長だそうです。
こちらの写真も石巻市街の瓦礫の置き場です。他にも自動車のスクラップが延々と長い距離、集積されている場所も有りました。
写真の右上に小さく「ユンボウ」という重機が小さく見えますが、それ位膨大な瓦礫がこのように置かれたままです。これが震災から1年1ケ月が経過した、平成24年4月12日の石巻市の現状です。
市街地も津波被害の有る場所は瓦礫を撤去され更地のままのところがとても目立ちます。
バスの中では、山田宏党首の隣の席に。2月9日の石巻市訪問(ブログ記事「石巻市(宮城県)へ同志と共に」を是非、ご覧下さい)で実際に見て来た様子(石巻市ではパチンコが蔓延して、パチンコ業界の自主規制を捨て去り、被災者が得た収入をことごとく吸い上げていること、パチンコ依存者の増加によって朝7時から24時頃までパチンコ屋が開いているような状態になっていること)を伝え、政治の側で覚悟をもってこうした「不幸の量産システム」を被災地からも排除していく必要性を伝えました。
仙台駅前からバスで90分程度で石巻市の半島先端に近い、鮎川港に到着。チャーターした2隻の小型船で金華山へ。金華山は東北三大霊場の一つであり、陸地では一番、東日本大震災の震源に近いところとなります。そうした場を訪れて祈りたいとのシュリ・シュリ・ラビ・シャンカール師の意向で訪問することに。
3mの波を乗り越え、金華山に到着。島全体が山のような地形ですが、地割れとその後の台風で山肌の崩落が激しかったです。海に面した民宿は完全に崩落して跡かたも有りませんでした・・・。
下に見える船着き場のあたりも地盤沈下が著しく、以前は便が有った大型の遊覧船は発着が不可能になっているそうです。
本殿の近くの灯篭もこのように崩れていますが、様々な方の努力で原状復帰も進められています。
東日本大震災から今日までの金華山の震災対応・状況などはこちらのページ「東日本大震災ドキュメント」からご覧下さい。
シュリ・シュリ・ラビ・シャンカール師と山田宏党首が意見交換中。後方は松浦芳子杉並区議です。黄金山神社の正式参拝の際には、慰霊のためのマリンバ演奏も行われました。その後、シュリ・シュリ・ラビ・シャンカール師からインド式の祈りも捧げられました。
黄金山神社から牡鹿半島を撮影。ガラスに写った国旗と桜は小坂のカメラの正面に貼られたシールが反射したものです。
舗装されていない坂道が多い金華山に震災支援物資として届けられていた自転車。悪路でも走行できるマウンテンバイクです。
(山田宏党首のこちらの記事に書いてある以下の姿勢に賛同して小坂も参加させていただきました。)
これから世界の繁栄の中心はアジアに移ってくる。また今後の中国の動きを各国が注意している中で、日印関係は極めて重要になる。私も杉並区長時代に、区内にある蓮光寺というお寺に、ガンジーに並ぶインド独立の英雄チャンドラ・ボースのご遺骨が安置されていることもあり、インドを何度か訪問し、杉並区とガンジー財団やボース研究所との関係を深めた。その結果、杉並区中央図書館の脇にはガンジー財団から贈られた、日本にはただ1体の大きなガンジー像が立ち、時々インドの方がお参りになっている。
日本とインドは、仏教や文化、さらに言語など多くの精神文化を共有しているが、これまでは「遠い国」というイメージが大きかった。現にブッダが悟りを開いたブッダガヤを訪ねる日本の仏教徒は、タイやベトナム、そしてチベットなどの仏教徒に比べて極端に少ない。
しかしインドでの「どこの国が好きか」という世論調査では、毎回日本が第1位であり、最近のインドの大きな発展ぶりを見る時、いずれ中国のそれを凌ぐことを予想させるものがある。またインドのデリーやムンバイ(旧ボンベイ)には、ANAやJALが直行便を飛ばしているので、もっと日本人がインドの今と歴史に目を向けてほしいと思う。
(以上、転載終了)
その後、小型船舶で鮎川港へ戻り、仙台市でのシュリ・シュリ・ラビ・シャンカール師の集会に参加した後、パソコン作業を駅のベンチでした後、23時の夜行バスで東京へ向かいました。
日本とインドの連携を深めていくべき、という方はこちらの2つのボタンを押してください。
住宅街は、【津波の来た所・来なかった所】が分かります。
昨年8月、石巻に行きました。
「この先海側津波が来ました。」・「これから陸側、津波が来なかったので住人が普通に住んでいます。」
夜間、煌煌と明かりが灯る「津波が来なかった。」家を見て、複雑な思いがしました。
誰が悪い訳でもないのですが…。