写真は明治天皇100年祭で明治神宮を夜間参拝させていただいた際に撮影した「かがり火」です。
今日は役所の控室で政策調査や打ち合わせを中心に活動。
さて、日本を危うくする「ゼロリスク妄想」「冷静なリスク比較・選択不能症」。こうした社会病理に流されると日本国の根幹を危うくします。
人間社会も世界も不完全なものであり、その中で危険性と便益、あるべき筋といったもののバランスを取りながら前に進むものである、という原則を忘れ、「リスクゼロがあるに違いない、と妄想し、リスクを徹底敵視し、多大な便益を損なうことで、別の巨大なリスクを量産」する事例が多発しています。
・「沖縄県へのオスプレイ配備による支那共産党勢力への牽制という便益」無視の大手マスコミ・いわゆる市民運動家に扇動された「国民的」議論
・原発敵視運動
※そもそも40年前の原発も、最新モデルの原発も、更にはこれから生み出されるリスク極小型の小型原発も一括りにして議論するなど欺瞞もいいところです。放射線についての大昔の論破済みの学説で恐怖をあおり、「日本国から核エネルギーから得られる便益」を徹底的に廃絶しようとしています。
以下は、平成24年2月20日の小坂の本会議質問(渾身の質問項目はこちら!)の中の一節です。この機会に是非、お読みいただければと思ってこちらの記事にも書かせていただきました。
これからも一貫して、冷静な危険性・効用比較・判断がなされる社会にすべく、様々な場で訴えかけて参ります。
「社会に存在する様々なリスクを俯瞰し啓発、真に緊急性の高い事項を優先して取り組むことが今ほど求められている時は有りません。
行政や政治は、人間が生きていく社会では、実に多様なリスク要因が有る中で世論の同調圧力や政治的思惑、ヒステリックな反応に右往左往するのではなく、客観的な目でそのリスクの重大性を比較考量して、重大な順に緊急度や予算配分、広報に力を入れていくべきであります。
しかし、現状はそうなっておらず、政治的思惑に惑わされて緊急性の低い事項が優先され、被害の甚大な事項が後回しにされています。
例えば、低放射線で死傷した人間は今まで世界で一人として存在しないにも関わらず、除染、除染と大騒ぎをして膨大な予算や人員を早期に割り当てる事例が全国で見受けられます。
一方で、JAGOの大崎代表によれば、年間数千人の自殺者を生み出しているパチンコへの規制に行政は前向きに取り組みもしない。毎年、ヘルメット着用を怠ることで確実に死傷者を出しているにも関わらず、子供乗せ自転車における努力義務であるヘルメット着用を幼稚園、保育園通園時の義務として位置づけ強い指導をすることもしない。
これは多様なリスクのうちのほんの一部の例ですが、リスク比較能力や危機管理意識の著しい欠如と言わざるを得ず、このような姿勢では「区民の幸せの為のシステム」になりません。
確実に存在する危険要素に世論が無関心であれば、それを「区民の関心事ではない」と放置するのではなく、行政として啓蒙をするのが当然の姿勢です。
風潮に流されることなく、危険度を客観的に把握した上で緊急度に応じて対策をとる区政にすべきと重ねて申し上げます。」
「危険」への冷静な分析ができる教育も必要!、という方はこちらの2つのボタンを押してください。
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