林英臣政経塾の合同合宿三日目の最終日の講義は、日本政策研究センターの伊藤哲夫氏から。日本創新党とたちあがれ日本の合同勉強会でも講演を聞かせていただきました。
示唆に富む講演を聞きながら打ち込んだメモから以下、転記します。
「「市民生活」の上辺だけを政治の対象と考えた民主党。それは住宅を販売するにあたり、表層的な「見てくれ」だけを売り物にし、肝心な土台・骨格を問わない無責任業者」
「国家の歴史・伝統の中に深く根を下ろし、それを貫く国民の精神を掘り起こし、それを統合・鼓舞するとともに、世界各国と競争し、対峙していくというのが本質である。その意味で、むしろ政治にとってはそれが立脚する土台・骨格の確固さこそが問われる。」
「すべからく政治は「磐の上に家を建てたる家」を目指すものでなければならない・そのためには、いえを建てるべき確固たる「磐」を求めなければならない。しからば、国家にとってその「磐」とは何か。それはどこに求めるべきものなのか?
我が日本国家にとって、「磐」とは日本の歴史・伝統、更に言えばそれを一貫して貫く精神である。伊藤博文はそれを「国家の機軸」と呼んだ。
伊藤博文「今憲法を制定せらるる方にては、先ず我が国の機軸を求め、我国の機軸は何なりや伝ふ事を確定せざるべからず。機軸なくして政治を人民の妾議に任す時は、政其の統其の統紀を失ひ国家亦た随て廃亡す。」」
「人権、人権を叫ぶ勢力は国家を如何に守り、維持していくかを無視した議論をする。国家があってこそ、人権(国家が護持することなしに、実態たりえない)が守られる。」
「「国民主権」「国民が主人公」と言うのであれば、国民一人一人が国防の義務をおう。国民が主人公などと言いながら、国家の危機の際に逃げ出すようでは国民主権を語る資格が無い。」
「すべからく政治は「磐の上に家を建てたる家」を目指すものでなければならない・そのためには、いえを建てるべき確固たる「磐」を求めなければならない。しからば、国家にとってその「磐」とは何か。それはどこに求めるべきものなのか?
我が日本国家にとって、「磐」とは日本の歴史・伝統、更に言えばそれを一貫して貫く精神である。伊藤博文はそれを「国家の機軸」と呼んだ。
伊藤博文「今憲法を制定せらるる方にては、先ず我が国の機軸を求め、我国の機軸は何なりや伝ふ事を確定せざるべからず。機軸なくして政治を人民の妾議に任す時は、政其の統其の統紀を失ひ国家亦た随て廃亡す。」」
「政治を見る際には磐の上に家を建てようとしているのか、それとも砂の上に建てようとしているのか?
その点を見極めねばならない。表面的には大きな台風や地震などが来ないとその真贋が明確になり難いので、多くの人が騙される。」
「国家の機軸とは伊藤博文にとって、「皇室」に他ならなかった。故に、彼はこの「皇室」を中心に据えた憲法を井上毅らとともに構想した。
明治維新は正にそうした考え方の下に遂行され、またそうした考え方を実際に形としていったものである(王政復古の宣言、五箇条の御誓文、など)。
「憲法論議が政治の世界でも出ているが、「独立の気概」「失地回復」の認識が無い輩には議論をする資格が無い。押しつけられ、独立後にすら押し頂いてきた「日本国憲法」に加えて、「日本国憲法は素晴らしい!」という物語まで押しつけられ、独立後もおしいただいてきた。
それを「GHQ物語」と名付けた。」
「昭和20年8月15日で戦争が終わったと思い込んでいるのは現在の日本人だけ。当時の米国の対日方針では、「武器を使った戦争は終わったが、武器を使わない戦争を継続し、日本国内の「敵」を排撃していく。」旨の記載が有る。」
「「押しつけられて嬉しい日本国憲法」という物語は東大法学部がGHQの本国向けの言い訳文書を翻訳して全国にばら撒いたことで流布された。」
「王政復古の宣言には、日本を本当の原点に戻すことが明示されている。
※「諸事、神武創業の始めに原づき」
その後の五箇条の御誓文が国の形を明らかにした。そのことで明治政府の在り方が国民に理解されやすくなった。」
「大日本帝国憲法の条文に先立つ「告文」「発布勅語」「上諭」において、憲法はあくまでも新規なものの立法ではなく、この日本国家の歴史を貫く不文の法を成文化したものに他ならないことを、繰り返し確認している。」
「皇后陛下は平成13年、明治神宮ご創建八十年に当り、以下のようなお歌をお読みになっておられる。
「外国の風招きつつ国柱太しくあれと守り給ひき」
このお歌にもお示しなされているように、まさしくこれこそがあの明治国家というものの真髄でもあったということなのである。
「外国の風招く」、すなわち諸々の状況対応の政策・アイデアをもちろん軽視されてはならない。
しかし、その前に、この日本国家の土台・骨格をしっかりと据え整えることが疎かにされたのでは、その国家はまさに「砂の上の家」になり終わる他ないということだ。」
「憲法論議においては、日本国の大義は何か?ということが中心に存在しなければ無意味。何を守るために命をかけられるのか?ということ。
憲法には、「守られる憲法」と「守られない憲法」が有る。フランス革命後のフランスの憲法は「条文は左翼が喜ぶような内容」であるが、守られず無意味な存在であった。」
日本政策研究センター 伊藤哲夫所長の講演を終えて、林英臣塾長の合宿を締めくくる講義。
「明治の政治家は我が人生と国家の行く末を一体で考えていた。それぞれが別個に存在するものではない。明治時代の指導者の素養は侍であったからという理由が大きいと考える。
「私」と「公」が矛盾しないのが武士道。本物の指導者は日本精神や東洋文明を理解していたのに、その後継者がそうした重要な軸を理解せずに壊していってしまった。」
「うしはく」=力でまとめていく
「しらす」=徳をもってまとめていく
「戦前の大正時代に流行ったもの。個人主義、平凡主義、平和主義・・・。この時代に旧制高校の卒業式で代表が「偉人などの生き方に学ぶのではなく、平凡に行きていきたい」と挨拶し、会場でも世間でも拍手喝采を浴びた。そうした堕落した時代になっていた。
昭和に入って日本を取り戻す運動が盛んになった。」
「日本は明治以降、西洋文明につき進み過ぎた。日本を取り戻し、危機に際して日本を論じていかなればならない。
日本を戦前、戦後で分けて考えるのではなく、明治以後、日本がどう変わってきたのかをしっかりと見極めていかねばならない。
我々は「公益経済」「高徳国家」「共生文明」を国是として日本を再生させていくべき。」
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