2012年09月05日

被災地視察(石巻市、女川町(宮城県))。流した涙に応える社会合意と防災対策を!

 前日夜からの林英臣政経塾東北講座(仙台市)は午前3時過ぎまで議論が続いてから就寝。
 
 林英臣政経塾の同志で石巻市政に挑戦をされる阿部利基さんに案内していただいて、宮城県の石巻市、女川町、東松島市の被災地の状況を見ながら説明を聞かせていただいた後、仙台まで戻って来ました。スターバックスで電源を確保して、夜行バス出発まで作業中です。

 訪れた被災地の様子を写真を中心にご報告致します。
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 多数の児童が津波で流された石巻市の大川小学校。余りの酷さに言葉が出ない・・・。どんなに無念だったか・・。合掌。
 石巻市立大川小学校を襲った津波による悲劇についてはこちらのリンクをお読み下さい。敷地内に泥だらけで落ちていた「上履き」・・・。これから可能性いっぱいの未来が待っていた筈の子供達の人生が断ち切られた無念を思うと、涙を禁じ得ませんでした・・・。
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 慰霊碑を取り囲む色の華やかさと、そこで起きた現実とその痕跡の恐ろしさが対象的です・・・。
 震災発生後も長時間児童を校庭に留まらせた対応ではなく、小学校のそばにある斜面を、急ぎ昇っていたら助かった筈の命・・・。
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 大川小学校の側溝の中で見かけたサッカーボール。
 昨年の3月11日以前にはこのボールを子供達が取り囲み、元気に走り回っていたことと思います。その日から側溝で泥に埋まり、やがて新たに生えて来た植物にも埋まって行きそうなサッカーボール・・・・。

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 今も残っていた「捜索状況掲示版」。大震災後、幾多の情報が張られ、多くの人が家族や知人の無事を願いながら見続けて来た掲示版。
 
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 平成24年9月5日現在の石巻市(宮城県)の瓦礫の一部の集積所の様子です。
 まだまだ処理しきれません・・・。現地の方は「瓦礫の量は減っているように見えない・・・」とおっしゃっていました。

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 被災した廃棄自動車の山とかつては街であった場所が緑の草に覆われた空地になっている状況です。

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 女川町(宮城県)の港近くの旅館であった建物・・・。3階建の堅固な建物が土台ごと横転しています。
 凄まじい津波のエネルギーです・・・。昨年来、様々な被災地の現場に行きましたが、ここまで強烈な力で破壊された現場を見たのは初めてで、言葉を失いました・・・。

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 女川町(宮城県)の港のそばの高台にある病院。右下の一時停止の交通標識の大きさと比べていただければその高さが分かると思います。
 東日本大震災の津波がこの高台の上の病院の更に床上2m近く迄押し寄せたとのことです・・・。

 本日見て来たことの一端を書かせていただきましたが、無数の現場で流された幾多の涙を無駄にしない、防災対策を確立せねばなりません。その為には「私権を制限すること」を前提とし「公の利益を正当に確保」し、摩擦を恐れずに覚悟を持って「防災街づくり」を進める日本にせねばならないと確信しています。
small_ribon.gif公の為に私権を制限する方向へ国民合意を確保し、法や条例もその方向に進めながら防災対策を急ぐべき、という方はこちらの2つのボタンを押してください。
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posted by 小坂英二 at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 区政全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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