初めての参加です。自衛官の方々の日々の御尽力に感謝の気持ちを捧げながら拝見しました。
政治家の一人として、自衛官の皆様の手足を縛る不当な手枷足枷を一日も早く撤廃して職務を堂々と執行できるような、あたりまえの日本にするために尽力することも誓いながら。
昨日、参加した「自衛隊観艦式 事前公開」で沢山の写真を撮影しましたが、これが一番お気に入りの写真です。
同志4人で乗艦した「掃海母艦 ぶんご(5,700t)」艦上の旭日旗と、隊列の後方に続く「護衛艦あたご(7,750t)」。
参加艦艇は40隻、参加航空機も33機で日本国の自衛隊の素晴らしさが直に感じられる場でした。
日頃の訓練の素晴らしい成果を、多くの日本国民の方に参加して知っていただけるように、機会を増やしていくべきと強く思いました。
昨日の「自衛隊観艦式 事前公開」に共に参加した3人の同志と小坂。
「掃海母艦 ぶんご」艦上にて、揃って撮影。
・小坂と共に尖閣諸島魚釣島に上陸した10人の中で唯一の女性でありチャンネル桜のキャスターの浅野久美さん
・ジャパニズムの編集長でライター、島根県竹島に上陸(国内旅行)をされ、現地の様子を書いた本も来月出版される古谷経衡氏さん
・台湾研究フォーラムや頑張れ日本で若手の行動派として活躍中の村田よしこさん
と共に。
乗艦した「掃海母艦 ぶんご(5,700t)」の後方には「掃海艇あいしま」を初め500tクラスの掃海艇が5隻続いていました。
大東亜戦争終結後、日本の沿岸海域に米軍が「日本を飢餓に追い込む作戦」としてB-29で10,700個もの機雷を敷設しており、戦後復興の為の物流確保にはこうした機雷の除去を確実に、速やかに行わねばなりませんでした。
戦後、昭和27年までに交戦時に敷設した機雷で166隻、約20万トンの船舶が沈没や損傷したとのことです。
そうした機雷を、犠牲者をだしながら掃海部隊が処理してきたからこそ、物流が確保でき、戦後の復興が成し遂げられたと言えます。こうした事実も伝え続けて行き、感謝の気持ちを忘れてはならないという認識を広げて行きたいと思っております。
「掃海母艦ぶんご」の国際信号旗はこのように収納をされています。
護衛艦ひゅうが(13,950t)の巨大さに圧倒。写真で小さな粒のように見えるのは一人一人の乗艦者です。
10月14日(日)の観艦式本番には、総理大臣が乗り込む観閲艦の「護衛艦くらま」の随伴艦の位置づけで航行します。
下船後、横須賀にて明日の防衛を担うべく奮闘中の同志と合流。場所は自衛隊員や米海軍の隊員も常時出入りしている「空母信濃」(店の名前ですよ)。皆で意気投合し、最終的にその同志と小坂で日本文化チャンネル桜の「さくらじ」に出演させていただけることになりました。
朝から夕方まで海上自衛隊の艦艇に乗って見ていると、改めて、技術・練度の高さ、規律の素晴らしさを実感しました。その素晴らしさを活かせる法体系や社会環境、国民の理解を深めるためにまともな政治を確立せねばならないと、改めて誓ってきた次第です。
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