11月7日のブログ記事で書いたフランス人のブログ記者のアアラ・カンザリさんに尖閣上陸関連を中心にインタビューを受けた記事が11月19日(月)に「こちら」に掲載されました。写真も多数で詳しく書いていただいております。
ペルシア料理店での偶然の出会いが、こうしてインタビューに繋がったこと、とても嬉しい限りです。
英語とフランス語で掲載されていますが、インタビューの日本語版ラフ原稿を以下、掲載させていただきます。
1)小坂議員の“これまで”を知る。幼少時代、学生時代、情熱など…
Q:まず議員の半生について教えてください。
A:生まれは神奈川県横浜市。横浜と言っても自然の豊かな戸塚という所で生まれました。
自然に囲まれて毎日虫取りをして過ごした子供時代でした。6歳の時に京都に引っ越し、そこで10年過ごし、高校2年の時に再び神奈川に戻って来ています。
大学時代は法学部で政治を専攻。「政治の現場で何かやりたい」と思っていたところ、新聞の広告で「日本新党」という政党がボランティア募集の記事を出しているのを見つけ、早速応募しました。それからは学校の勉強よりもボランティア活動にのめり込んでいきました。
Q:なぜ大学で政治を専攻したのですか?なぜその分野に興味を持ったのでしょう?
また、その頃打ち込んでいたこと、熱中していたことは何でしょうか?
A:私が高校生の頃は、ちょうど世界が大きく動いている時でした。ソ連の崩壊、中国の天安門事件などが起き、世界が共産主義から新しい体制へと移行していく過程を目の当たりにしました。そして今何が起きているのかを知りたいと思いました。
私が当時打ち込んでいた事ですか…
大学3年生のころは、もっぱら「日本新党」への参加です。時には事務所に寝泊まりすることもありました。
それ以前は、旅行ですね。バックパックを背負って色んな国を旅しました。
その頃訪れた国は、中国、台湾、ミャンマー、ブルネイ、マレーシアそれからペルーなどです。
Q:なぜこれらの国を旅したのですか?
A:まずペルーですが、これは大学4年生の頃です。慶応大学が当時の大統領、フジモリ氏に名誉教授の称号を与え、そのお返しに彼が慶応大学の学生30名をペルーへ招待しました。私はそれに応募し、当選したのです。
ペルーでは、大統領と共に各地を訪れました。ペルーがどのようにしてテロの脅威を払拭し、治安を築いたのかを知ることが出来ました。
また、周辺のアジア諸国を旅した理由ですが、当時海外旅行など行ったことがなかったので、まずは近場からという気持ちでした。実際には、金銭的なことも一つの理由です。先にあげた国々では1泊100円から泊まれましたから。
Q:バックパック旅行で得られたものは何ですか?
A:まず、日本を客観的に見られるようになったということです。特に日本は他のアジア諸国に比べてすばらしいと気がつきました。また、様々な国を訪れる中で、民族性の違いというものを実感しました。
Q:今もしバックパックの旅に出られるとしたら、どの国を訪れたいですか?
A:難しい質問ですね。政治家として言うならば、ヨーロッパ諸国でしょうか。また、自然が好きですから、そういう観点から言えばアフリカなどに興味がありますね。
Q:先ほどバックパック旅行を通して日本のすばらしさを再認識したと仰いましたが、日本のどんな部分についてそう思われたのでしょうか?
A:まず、日本人が大切にしている気遣いの心でしょうか。他人への思いやりを大切にする。そういった精神がすばらしいと思いました。また規律を守る点もそうです。例えば、旅をした国では、時間になっても電車が来ないなどということはよくありました。日本では当たり前のことが、海外にはないということに気がつきました。
さらに、日本の歴史の深さというものも再認識しました。日本には蓄積されているものがある、と感じました。
Q:旅行の際は、どのようにして現地の人とコミュニケーションを取られていましたか?
A:旅行中、現地の方との出会いはたくさんありました。
例えば台湾の蘭嶼島(らんゆうとう)を訪れた際です。飛行場に着くと、ある日本人教授の一団に会いました。話を聞くと、島に日本語を話せる村長がいるということだったので、そこを訪れることにしました。私はそこで3日間、村長の自宅に泊めてもらい、彼から色々な話を聞きました。それは特に日本統治時代の話でした。私は当時、「戦時中、日本は悪い事をした」と思っていたのですが、村長の話はその印象を覆すものでした。彼は、「日本統治時代はよかった」と語ったのです。当時の私にとっては驚きでした。そして、その時代のことをもっと知りたいと思うようになりました。
その他にも、旅先での出会いはたくさんありました。そうですね、たまたま出会った人と食事をしたりしてコミュニケーションを取ることが多かったです。主に旅行中は安宿に泊まっていましたから、そこには私と同じようなバックパッカーがたくさん集まるのです。そこでまずバックパッカーの知り合いが出来て、その伝手で現地の人とも知り合い、一緒に食事をすることなどがありました。
また、もう一つ、シンガポールからブルネイへ行く飛行機の中でも印象的な出会いがありました。飛行機で隣の席に座っていた人と親しくなり、ブルネイ滞在中に良くしてもらいました。その時期はラマダンで、現地のお祭りのようなものに連れて行ってもらったり、その方は報道関係の仕事をしていたのですが、仕事場までついて行ったりしました。
他にも挙げればきりがないですが、旅行中は本当にたくさんの人と出会いました。
Q:先ほど、もし今バックパックの旅に出られるとするならば、政治家としてはヨーロッパ、一個人としてはアフリカへ行ってみたいということでしたが、なぜですか?
A:まずヨーロッパは、長い歴史の中で民主主義を発展させてきた国々が集まっているという点で興味があります。また、例えば、環境先進国であると言われ、様々な歴史を持つドイツが実際にどのような状況か何をしているのか、この目で見てみたいです。
アフリカへ行ってみたいというのは、単純に自然に興味があるからですね。日本とは全く違う景色が広がっていそうで、それを見てみたいと思います。
2)小坂議員の“今”を知る。
A)地方議員という仕事について
Q:小坂議員の今の仕事について教えてください。
A:まず「地方議員とは何か」という一般的な話からした方がよさそうですね。一般的に、地方議員は、地域から色んな要望を汲み取り、それを議会で議論して物事を決めていくことを仕事としています。市役所職員と地方議員は「車の両輪」と表されたりしますね。
しかし、現状では、今述べたような仕事が全うされていると言える状況ではありません。実際、充分に地域とのコミュニケーションが出来ていない、議会でも充分な話し合いがないなどの問題があります。議員の仕事より、自身の立場を守ることに重きを置いている人が多いのです。
Q:地方議員の仕事は何年前からされているのですか?
A:2003年からです。10年目になりますね。
Q:それまでは何をされていましたか?
A:大学卒業後に1年間埼玉の地方銀行で働きました。ですが、やはり政治をしたいという思いがずっとありました。そんな時、「新進党」という政党で人材を募集しているのを見つけたのです。試験を受けて、合格。銀行員を辞め、政治の世界に入りました。
しかし、この「新進党」という政党は1年9カ月で解党してしまいました。その後は、そこで出会った代議士の方の秘書を5年間勤めました。その代議士の方は、荒川区を選挙区とする議員だったのですが、彼に付き添って地元の会合に参加するうちに、地元にたくさんの知り合いが出来ました。会合では、「この街町をもっとよくしたい」というようなことを話していました。ありきたりなことですが…。
Q:小坂議員は、どちらの政党に所属されているのですか?
A:現在は無所属です。
理念が近い政党は自民党ですが、そこでは「守らなければならないこと」を守る覚悟を持つ人が少ない現状です。ることができませんから。議員としてやらなければいけない事をやろうとする者を排除しようとしているのが今の自民党です。特に、地方議会ではそういった傾向が強いですくひどい状況です。かつて所属していた日本創新党は解散をしてしまい、その後は筋を通すために無所属の立場が最善と考え、そうしております。
B)政治家としてのビジョン、思い、今の日本そして若い世代へのメッセージなど
Q:日本という国をどう見ていますか?
A:政治家が日本を見る時、まず、国柄というものを理解しなければならないと思っています。日本には古く昔からずっと続いてきているものがあります。それを私は「縦糸」と呼んでいますが、それを政治家は理解し、守るべきものとして国民を啓蒙していかなければならないと思っています。
その「縦糸」と呼べるものは日本に4つあります。まず言葉です。現代日本語には、漢語、その他外国語などが入っていますが、それと同時に、「大和言葉」は日本の固有語として今まで受け継がれてきています。2番目は、血筋です。日本の中心には天皇陛下がおられいまます。ずっと一つの血筋が絶えることなく、現在で125代続いてきているのです。しっかりとした中心がある国は永く続くと言われています。3番目は神話です。あり、現在でも1000年以上も前に書かれた『古事記』は読まれています民族の物語として2,000年以上、引き継がれてきました。そして最後に、信仰です。日本独自の宗教と言えば神道ですが、私たちは2,000年以上も前から同じ神様に手を合わせているのです。神道は寛容な宗教で、大陸の信仰様々な要素を吸収しつつ、今まで存続してきました。日本には今でも万単位の神社があると言われています。
これら4つの縦糸を基盤とし、今日本は成熟と安定を手にしています。この奇跡的な継続とも呼べるものを守ること。その事を軸に、変えるべきものを見極め取るべき行動を決めていくする必要があると考えています。
Q:今の日本の若い世代をどう見ていますか?また彼らに何を望みますか?
A:彼らは、「日本のすばらしさ」を知る機会を奪われてきました。一方でインターネットの発展により、日本がおかれた状況を知る若者が増えてきたことも事実ですが、それは良い事だと思っています。
大東亜戦争後、GHQの占領下において、日本の歴史は塗り替えられました。(一般的には太平洋戦争と呼ばれますが、私は大東亜戦争と呼んでいます。)GHQは検閲により、連合国にとって都合の悪い物は捨て、日本の良い部分を徹底的に隠しました。その影響は、教育、報道、言論のすべてに及んでいます。彼らは、日本が二度と力を付けることのないよう、「日本は悪い国だ」ということを徹底的に植え付けたのです。
しかしそれは嘘の歴史です。今や、本当に何が正しいのかということ見つめなければなりません。客観的な資料をもとに、正しい歴史を見出せるはずです。例えば、南京大虐殺は、chinaの政権正当化やアメリカが東京大空襲や原爆投下を正当化するために捏造したものです。また、従軍慰安婦の問題も誇張して取り沙汰されています。このような嘘の歴史を取り除くため、今の若い世代には、国のことを他人事ではなく、我が事として受け止め行動してほしいと思っています。
Q:これから政治家として何をしていきたいですか?
A:「日本」を主語に行動していきたいです。というのも、尖閣問題でもそうですが、いつも日本は受け身なのです。「中国china」に何をされた、「中国china」がこう言った、という具合です。そうではなく、摩擦を恐れずに「日本」を主語にして世界へメッセージを発するべきです。「我々には戦ってでも守るべきものがある。」こうした確固たる決意を表すことで、返って戦争・紛争といったものを避けることができると考えます。
地方議員が国の問題に取り組むのはおかしいのではないかと言われることもありますが、国会議員にイニシアティブがない今の状況では、枠組みなど関係なく行動するしかありません。国を船に例えるならば、船室の操縦桿を握るのが国会議員、その中の世話役が地方議員となります。船が氷河にぶつかりそうになっている今、操縦士が何もしないなら、世話役がその操縦桿を奪って舵を切るしかないのです。また、地方議員は日頃から日本全体を大局的に考え、自分の持ち場で何をするかを判断するという姿勢は欠かせないことと思っております。
3)尖閣諸島への上陸に関して
Q:なぜ尖閣諸島へ上陸したのでしょうか?
A:尖閣諸島というのはここ(東京)からとても離れたところにあります。沖縄県那覇市から船で7時間という距離です。そんな遠いところまでなぜ行ったのかと言うと、そこには先人が血と汗と涙を流して守ってきた領土があるからです。ここにも守るべき「縦糸」があるのです。領土は、努力をせずに守れるものではありません。地方議員であっても、それを守るためにはやるべきことをやるのです。
地方議員という枠組みを越えた活動は、今までもしてきました。例えば、東日本大震災後の被災地支援もその一つです。
主権が瀕死状態にあるなら、それを守るために行動するべきです。
また今回は、尖閣諸島に眠る先人たちの慰霊も目的としていました。公職のバッジを付けた人間がそうすることで、世界への意思表示になるはずです。今回こうして問題提起を内外に発信する事、伝えなければならないことを伝えることが出来るようになったことは、一つの成果です。
国には、「尖閣諸島を守れなくて、それ以上に大きい沖縄を守れるのか?」と問いたいです。いや、ある領土をないがしろにするような国では、沖縄も、荒川区も守れるわけがないのです。私は、地方も国も一体のものとして見ています。
Q:尖閣諸島上陸の際に感じたことは何ですか?
A:島を歩くと、人が住んでいた跡がたくさん残っています。また、島の自然環境は崩れ、ゴミが溜まっているのも目にしました。家畜として連れてこられたヤギが繁殖し、島はヤギの糞だらけ。また、海辺には漂着ゴミが溜まっています。
尖閣諸島に上陸してその現状を目の当たりにし、今までこの場所を放ってきたということに対して憤りを感じつつ、改めて、「守るべきものは戦ってでも守る政府に変えなければいけない」と決意を固めました。
Q:尖閣諸島上陸について、周りの人の反応はいかがでしたか?
A:周囲の90%以上の人が「ありがとう」とメールやFAXをくれました。中には、逮捕されるのではと心配する人や、一部、中国の反応を懸念した批判の声もありましたが。
価値観の違いは当然あると思いますが、大事にするべきものは常に一番上にあるべきなのですそうした人には「国家の主権、領土、真の歴史といったものははるかに上位に位置する価値であり、経済関係や友好関係はその下位にある価値です。上位の価値を守った上で初めて、下位の価値に基づくものについて成り立ちうるのが筋です」。
Q:尖閣諸島へは誰と一緒に行かれたのでしょう?
A:「がんばれ日本!全国行動委員会」という国民一人一人が国を守って行こうという組織があるのですが、そこで募っていたツアーに申し込み、参加しましました。このツアーの名目は、あくまで「漁師見習い」です。海上保安庁が厳しく取り締まっていますから、表だって「上陸」することはできません。募集人員150名のツアーでした。
そのうち上陸したのは参加者には、「チャンネル桜」の水島総さんら民間人が5人や、地方議員5人の10人でした。などがいます。
Q:尖閣諸島問題に対する、中国の反応についてはどう思いますか?
A:反日暴動が起きたことは驚く話ではありません。この暴動は共産党が仕組んでいるものです。中国chinaでは法律という形での正義が存在しないので、日本に揺さぶりをかけるべく不条理な暴動は当然起りうることなのです。
ですから、そのような事を事前に予期せず、利益ばかりを追って中国進出している日本企業にとっては、今回暴動の被害にあったことは自業自得でしょう。彼らが国に、領土問題より経済を優先しろと言うのはおかしな話です。
★アアラ・カンザリさんのブログの紹介(ご本人からいただいた文章を転記します)★
私の名前はアアラです。チュニジア人の血をひくフランス人です。私の両親はチュニジア人なのです。私はフランスで生まれ、6歳までをチュニジアで過ごし、その後フランスで教育を受けました。2009年11月5日から私は世界を旅しています。訪れた国は香港、マカオ、オーストラリア(6か月滞在)、ニュージーランド、カナダ(1年間滞在)、アメリカ、メキシコ、イギリス、モロッコ。そして2011年5月6日より日本にいます。
旅行を始めたことで、もはや私はフランス人でも、チュニジア人でもないと感じるようになりました。この世界の一市民という感覚です。
2011年5月6日から日本に、いやもっと正確に言えば東京にいますが、そもそもこの世界旅行の目的は英語を勉強することでした。2010年10月、その英語の勉強に一区切りをつけ、もっと大きな挑戦をしようと決めたのです。その挑戦とは、文化も言葉も知らない国に行くことでした。そこで迷わず、日本に行くことを決めました。
「なぜ日本なの?」と皆さん思われるかも知れません。私は歴史が大好きなのです。そして、豊かで、長い歴史を持つ国が好きです。エジプト、メキシコ、中国、ギリシャといった国に興味があるのはそのためです。日本にはさらに歴史といった側面に加えて、文化的な豊かさと、西洋とも東洋とも似付かぬ生活様式をもった国であるという魅力があります。さらに、私は第二次世界大戦時代に非常に興味があります。この時代に何が起きたのか、もっと知りたいと思っています。そして日本はこの時代の立役者でした。残念ながら、ヨーロッパでは、第二次世界大戦中の日本についてあまり教えられません。アジアにおけるこの時代は、我々ヨーロッパ人にとって謎に包まれているのです。
これら全ての理由から、私は日本に来ることを決めました。第二次世界大戦への興味、歴史への情熱、日本文化への愛着、挑戦への思い、旅、発見を愛する心、新たな出会い、自分の可能性を広げること、見識を広げ、広い視野を持つことへの欲求。これら全てが私を日本へ向かわせました。
それから、2011年3月11日、日本を地震が襲い、福島が危険にさらされている時、私はカナダのバンクーバーに住んでいました。この災害が発生する前、私はすでに日本に行くことを決めていました。3月11日以降、家族や友人は「今は日本に行かない方がいい。危ないよ。」と言いました。だから私はこう答えたのです。「たとえ何が起きても、2011年5月6日に日本に行くことはもう決まりなんだ。何事もない時ならその国に行けて、状況が悪くなれば逃げるなんてないだろ。」私にとって、たとえこの国が悪い状況にあったとしても、日本に行くことは何ら疑問を持つことではありませんでした。
ともあれ、ここに来てから、この国のこと、この国の文化のこと、そしてここに住む人たちのことをたくさん学ぶことが出来ました。だからこうして得たものをブログで紹介することにしたのです。それが、「日本に住むガイジン」と名付けたブログです。
ここでは、私が発見したこと、学んだこと、感動したことを読者に伝えています。
今、私は日本語を勉強することを決め、そのために2012年10月から学校に行っています。2014年9月まで通う予定です。その後、2015年1月以降、沖縄から北海道までを歩いて旅する予定です。その目的は、時間をかけて、本当の日本に出会うことです。地元の人たちと知り合うことで、多くの外国人にとって出会うことの難しい日本を見つけたいと思っています。1年ほどの旅を予定しています。
ということで、またブログで会いましょう。あなたの友達、アアラより。
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