本日は全員協議会に続き本会議が開かれました。本会議で「東京女子医科大学東医療センターが足立区へ移転することに反対する決議案」について各会派の討論と採決が行われました。
提出された決議案は下記の通りです。小坂はこの決議案に反対の立場です。
小坂の討論は下記の通りです。小坂の「反対討論」は「移転に反対する決議案」に「反対」という姿勢です。何故、小坂はそうした姿勢を取っているのか、下記討論をお読みいただければ幸いです。
採決の結果、「移転反対決議案」に賛成が28人(自民、公明、共産、民主市民、1人会派2つ)、反対が2人(浅川議員と小坂)で可決されました。こんな乱暴な決議が可決されたことが残念です。
引き続き予算特別委員会で議論を深め、夜は政務会合。政務会合でこの話について、詳しくお伝えしました。多くの方に状況を理解していただくことができました。
(小坂の討論は下記の通りです。)
私は、日本創新党として議員提出位議案第37号、「東京女子医科大学東医療センターが足立区へ移転することに反対する決議」に反対の立場で討論を行います。
まず、申し上げたいことは「移転の検討を直ちに中止せよ」という乱暴な決議案には賛成できないということです。東医療センターは荒川区のみならず、近隣の区はもちろん埼玉県南部からも多くの患者が通い、救急医療の受け皿となっている医療拠点であり、その広域的な位置づけで考えるべきと申し上げます。
現在の狭い敷地、高圧電線の危険性を踏まえながら建て替えることと、現在検討されている足立区江北の都営住宅の建替え残地(現在の敷地の2.5倍)で建て替えることの内容を比較し、その具体的な案を見ながら意見を申し上げて行くのが行政や議会のとるべき姿勢と考えます。
現在のベッドの地域での割り当ての数がほぼ飽和していることを考えると、その枠内ではベッド数は増えないでしょう。しかし、この割り当て自体が今後変わる可能性も有りベッド数も増加することも考えられます。また、ベッド数が変わらないにしても、移転を通じて広い敷地内で救急・高度医療体制の充実が行われるのであれば、城北地域の医療体制の改善となり、その一端の荒川区民の利益にもなると考えます。
現在、具体案が出されていない中で、そうした比較をすること無しに、いたずらに移転の「検討」すら中止せよというのは議会という公権力による極めて乱暴な意思表示であると考えます。ましてや、東京女子医大病院は民間の病院なのですから。
過去に南千住のセメントサイロ跡地など、荒川区内での移転検討もしていたようですが、敷地の狭さなどで条件が合わなかったようです。区が他に対案として出せるものが有るのならともかく、それが無いにも関わらず、兎に角、「移転の検討すら止めろ」と脊髄反射的に反応するのは区や議会がとるべき対応とは思えません。
高圧電線が上空と地下を通り、狭い敷地で現地での建て替えの困難さは具体的にどのようなものなのか?区議会の委員会で現在地と移転候補地のそれぞれ長所と短所を比較検討し、荒川区としてできることは何かを議論する。そうした過程を経るのが順番であり筋ではないでしょうか?
気持ちの面では地元の尾久からこうした大きな病院が移転してしまうのは寂しいですし、近くに有れば安心だというものも有ります。
しかし、高度医療、救急医療における広域拠点として荒川区、足立区、葛飾区等の近隣自治体のみならず、埼玉県の草加市など都外からも多くの救急・高度医療の患者を受け入れる病院として、相応しい形(規模や内容)になるのが最優先課題であり、どこに位置すべきかはその判断材料の一つに過ぎないのです。そこを忘れてはなりません。
そうした検討を経て東医療センターが移転をすることになれば、地元商店街への激変緩和措置の支援策を講じること、東医療センターの土地建物が地域のために有効に活用されるように誘導していくべきことも申し上げておきます。
念のため申し上げておきますが、私の姿勢は「足立区への移転賛成」という単純なものではありません。正確に書けば「城北地区の救急・高度医療、災害拠点病院としての役割を果たすにふさわしい病院となるように行政、議会も連携をして共に議論をすべき。移転反対有りきでは無く」ということです。
「荒川区からの移転反対」とか「移転の議論を止めろ」と民間病院に命じるような議会決議をすることは筋が違うと考えております。区議会議員選挙前にこのような意思表示を私がすることで、一部の支持を失うかもしれません。しかし、それを恐れて付和雷同するようでは議員である意味が有りません。自らの信念を持って臨んで参ります。
議員各位には大局観と矜持をもってお考えいただき、この乱暴で一方的な決議に反対の姿勢を示していただくことをお願いし、反対討論と致します。
小坂の主張に賛同する!、という方はこちらの2つのボタンを押してください。
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本日のTBS「噂の東京マガジン」で取り上げられていました。