昨日、12月4日に出席した荒川区・教育委員会・地区人権擁護委員主催の講演会に出席して話を聞いてきました。
前の書き込みで紹介した職人さんのお話は良かったのですが、荒川区が用意した原稿を読み上げたフリーアナウンサーの発言に怒り心頭でした。
職人さんが東京大虐殺の火の海を経験されたことに関連して、戦中の状況を振りかえった映像や話の時間が有りました。
その中でフリーアナウンサーが「戦時中は人権が全く保証されませんでした。」という言葉を二度に渡って、ゆっくりとした口調で繰り返しました。
聞いていて、「えっ!全く人権の保証がされないって、そりゃ現実を余りにかけ離れた発言でしょ!」と考え、講演終了後、荒川区の人権政策の責任部署である総務企画課の片岡課長に抗議をしました。
フリーアナウンサーのその部分の発言は荒川区が用意した原稿に書かれたもので、荒川区の見解を示していると言えます。
小坂から「戦時中は国を挙げて困難に立ち向かっている時であり、様々な人権が制限されていたことはその通りだろう。しかし、「全く保証されたなかった」という荒川区が書いた表現は誤りである。」
「戦時中でも守られていた人権が各分野で有った。また、ある分野での人権を制限することで、国を守り社会を構成するそれぞれの人々の人権を守ることに繋がっていたという面もある。」
「東日本大震災が発生した際でも、様々な自由・人権を制限し、それによって広範な人権を守ったことが近年有ったのを見れば分るであろう。」
「「戦時中は人権が全く保証されませんでした」という荒川区の発言は戦時中に尽力をした先人への愚弄であり、看過できない。抗議すると同時に、根本から考え直すべきと申し上げる。」
ということをその場で強く伝えました。
正に戦時中に「様々な人権」を守ろうと尽力していた方々を愚弄する人権侵害発言であり、ヘイトスピーチです。このような発言を人権週間の事業で荒川区という行政が行うとは怒りを感じます。そしてこうした視点に立って荒川区は「人権行政」を行っている訳ですから、当然のこと、歪んだ人権行政になる訳です。
こうした発言をしている荒川区。合併で発足したのは昭和7年。大東亜戦争当時、荒川区という組織は存在し、職員が働き、福祉をはじめとする様々な部門で、「人権を守り幸せを増やす」ための努力をぞれぞれの職員が行なっていた訳です。荒川区職員にとって、同じ職場の大先輩がそうした努力をしておられたこと、また、荒川区職員だけでなく日本各地の様々な人々が持ち場で自然に人権を守り幸せを増やせるように尽力されていたことに想いが至らないのは、絶望的な想像力の欠如と言わざるを得ません。
人権大事、人権大事、と騒ぎながら、「先人の尊厳」「先人が積み重ねてきた歴史」を勝手な一刀両断で悪しざまにののしることを平然と行う行政。しかも自分達の職場の先輩の努力も無視して。
役所の職員、いや社会の風潮で広く、歪んだ甘えが有るのですよね・・・。「戦前のこと(つまり先人の行動)」については根拠も無く悪しざまに罵っても、まあ、問題無いでしょう。戦後こそ素晴らしい社会であることを述べるスパイスにもなるし・・・。という甘え。この甘えは先人への人権蹂躙そのものです。
小坂からの抗議に総務企画課長は「この場で指摘への反論はしない。先程の表現は間違っていない。意見はお受けした。」と答えていました。週明けに上司の部長に厳しく抗議し、こうした「先人への人権侵害」を止めるように働きかけます。
写真は今年の振りかえりで見ていた4月の選挙当時のものです。その時の訴えを具現化すべく、尽力していきます。
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