園の1年を手書きの絵を交えて説明。
控え室では園児が焼いてくれた焼き菓子をいただきました。包丁も使う「調理保育」も積極的に推進されているようです。
30年前は130余名の園児が入園したそうですが、現在、在籍園児は38名。幼稚園を巡る環境は大きく変わりました。
来年度からは区立幼稚園全園で3歳児保育を開始しますので、在籍園児は増える予定。
11月26日のブログ記事に書いた木藤潮香さんの講演会は区立中学校の生徒四百数十名を含む聞き手は九百名以上が参加。小坂を含む多くの人の心に、家族の大切さと命を大切に生きることの素晴らしさへの熱い思いが伝わったと思える講演でした。
さて、表題の件、まずはこちらの産経新聞の今日の該当記事から転載した記事を参照下さい。
(以下、転載)
民主前議員らの「ウイグル勉強会」 小沢氏訪中直前に中止
民主党前国会議員らが11月28日に予定していた中国の少数民族・ウイグル人の人権活動家による勉強会が急遽(きゆうきよ)中止されていたことが5日、分かった。6日から小沢一郎代表ら同党議員団による中国訪問を控えており、複数の同党議員は「中国当局が党幹部に中止を要請したからだ」と証言している。
勉強会を計画したのは民主党の牧野聖修前衆院議員が代表を務める「アジアと中国の民主主義を考える会」。来日中のウイグル人、ラビア・カーディル氏から中国・新彊ウイグル自治区での人権侵害の実態について報告を受けることになっていた。8月中に国会内の会議室を押さえ、現職議員も出席する予定だったが、11月中旬に突然中止が決まった。
時間が空いたカーディル氏は11月28日、中川昭一元政調会長ら自民党議員と無所属の平沼赳夫元経済産業相ら約10人が都内のホテルに会場をとって開いた勉強会に出席した。カーディル氏は周囲に「民主党は何を言われても堂々とやってほしかった」と漏らしていたという。在京中国大使館は「中国を分裂させようとするウイグル人活動家が日本で活動することには反対だが、28日の件についてコメントはない」としている。
中国政府のウイグル抑圧を批判するカーディル氏は6年近い投獄をへて2年前に米国に亡命した。米議会では中国当局によるウイグル人女性の強制移住を報告するなど積極的な人権活動を展開し、昨年のノーベル平和賞候補にもなった。中国は平成13年、自民、民主両党議員らによる「チベット問題を考える議員連盟」のメンバーに対し、「活動をやめないと所属政党の幹部が訪中した際、中国政府要人に会えなくなる」と働き掛けていたことが明らかになっている。
(以上、転載終わり)
「ウイグル」と記載されている地域は「東トルキスタン」という独立国の有る地域であったにも関わらず支那の共産党が大東亜戦争終結後、どさくさに紛れて侵略・占領を既成事実化している地域のことです。
そこでは現在進行形で住民の虐殺をはじめとする人権侵害が行われているのです(是非、こちらのページをご覧下さい)。開催するはずだった勉強会の講師、ラビア・カーディル氏についても、こちらをお読みいただくのが最適かと思います。「新聞を米国に送付」すると懲役8年を課す国で「平和の祭典」であるオリンピックを開催しようとしているのですから、ブラックジョークでしか有りませんね・・・(人権侵害の一例)。因みに小坂は こちらの会の賛同者に名を連ねています。
こうした問題から目を背け、上っ面の友好(まあ、目的は商売なのは分かり切ったことですが・・・)を保つ政治屋には国民がNo!をつきつけなければならないと思います。与野党問わず、こうした輩は存在しますので、有権者がそれぞれの議員(特に自分の住んでいる地域が選挙区の議員)を監視して、折に触れて意見を伝えることが必要だと強く思います。
また、こうした問題について心ある読者の方には、ブログ等を通じて広めていただけると幸いです。
東トルキスタンで現在進行形で行われている支那の共産党政府による虐殺について目を背けずに知るべき、という方はこちらを押してください。
ウイグルの問題は他人事ではありません。私たちへの警告です。
それと、中国留学生に天安門事件の映像を見てもらう上映会(&彼らとの討論会など)、アイデアを使っていただいて実現できれば嬉しいです。
母親達も出し物(歌とハンドベル)を頑張りました(笑)。
ありがとうございます。そうですね!他人事では有りませんね!下記の文章のナチス=支那の共産党、ユダヤ人=東トルキスタン、牧師=日本人、と読み替えると多くの方に事の恐ろしさが理解できると思います。
マルチン・ニーメラー牧師の告白 「ナチスが共産主義者を弾圧した時、私は不安に駆られたが 自分は共産主義者でなかったので、何の行動も起こさなかった。その次、ナチスは社会主義者を弾圧した。私はさらに不安を感じたが 自分は社会主義者ではないので、何の抗議もしなかった。それからナチスは学生、新聞、ユダヤ人と、順次弾圧の輪を広げていき、 そのたびに私の不安は増大したが、それでも私は行動に出なかった。 ある日ついにナチスは教会を弾圧してきた。そして私は牧師だった。 だから行動に立ち上がったが、その時はすべてがあまりにも遅かった。』
>>花の木ママ 様
こちらこそ、巣晴らしい式典に出席させていただき、ありがとうございました。お母様方のハンドベルと合唱も、「相当練習をされたんでしょうね〜」と他の議員と話をしていました。こちらが元気をもらった式典でした。
全く同感です。こちらも参考にご覧下さい。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%AB