2007年12月12日

組織の中の個人の責務

 3日前に信頼する知人からいただいたメールを本人の許可を得て転載させていただきます。12月15日の21時に放送される再現ドラマについてです。組織の中で個人が問題意識を持って取り組むことの大切さ、またそうした努力があっても組織の長に適切な判断能力が無ければ誤った方向に進んでしまうこと・・・。実際に有った話をドラマ化したものだとのこと、政治に携わる一員として他人事でなく自らの問題として見ようと考えています。皆様も、是非、ご覧いただければと思い掲載させていただいた次第です。


(以下、メールの転載です。一部略。太字、リンク等は小坂によるもの)

 ある「日本の危機」を救った男たちの物語です。1987年11月末、彼らがいなければ日韓関係は大変なことになっていました。その危機を水際で防いだのは決してエリートのキャリア官僚ではなく、ノンキャリアの若き外交官たちでした。しかし、彼らの「功績」を政府は役立てることもなく、対応を誤ります。国のトップが無能だと、後々どれほど重いツケを国民に残すことになるか、お汲み取り頂ければ幸いです。

『大韓航空機爆破事件から20年 金賢姫を捕らえた男たち 〜封印された3日間〜』

12月15日(土)午後9時、フジテレビ系で全国放映


 多くの皆様は20年前の11月に起きた、大韓航空機爆破事件をご記憶のことと思います。翌1988年のソウル五輪を妨害しようとした北朝鮮が、バグダッド発ソウル行きの大韓航空機858便を爆破、乗客乗員115名全員が死亡した事件です。

 あの時の爆破犯人、北朝鮮の工作員であった金賢姫がバーレーンの空港で逮捕されたのは、ご承知の通りですが、誰が、どのような経緯で拘束に成功したのかは、あまり一般に知られてはおりません。金賢姫を取り押さえるのに成功した殆どの要因は、現地駐在の日本大使館職員の機転と、わが身を顧みない努力によるものでした。彼の名を砂川昌順といいます。彼を主人公にしたドラマが放映されるのです。なぜ私が、その宣伝をするかというと、砂川さんは私のよく知る人だからです。彼は私の父の元部下でした。

 1984年、親父が西アフリカのガーナの日本大使館にいた時、外務省の外郭団体から派遣されて来たのが砂川さんでした。2年間の契約が切れると帰国し、新たな職を探さねばならない立場にありました。当時のガーナは政情不安でクーデターが頻発。アフリカの中でも最も貧しい国の一つでした。リビアのカダフィ大佐と親交のある左翼軍事政権下で、戒厳令や夜間外出禁止令が敷かれ、電気も水も食料も満足になく、国民は飢餓状態に近い様相を呈しており、マラリアなどの熱病をはじめ、大使館の庭には猛毒のグリーンスネークが出没するという、過酷な労働環境にありました。

 その中で人一倍、勤勉で細かいところによく気がつき、優秀だった砂川さんを親父は可愛がり、時には厳しい指導をして外交官としての基本を教え込んだのだそうです。そして人事課に推薦状を書き、砂川さんは外務省職員として本採用されました。これはあまりないケースでした。
正規職員となった彼はアクラ(ガーナ)からバーレーンに赴任します。そこで大韓機事件に遭遇することになります。

 事件発生直後には一体、何が起きたのか皆目、分かりませんでした。ただ、ハッキリしているのは大韓機がミャンマー沖で消息を絶ったということだけ。日本や韓国政府の対応は後手後手に回ります。事件発生から丸1日以上が経過して、ようやく在アブダビの日本大使館から「大至急電」が飛び込んで来るという有り様でした。

 「親子連れの日本人らしき男女2人が最後の寄港地、アブダビで降機した模様。貴国に入国していないか、至急、確認願う」といった内容が、中東各国の日本大使館に配信されて来ました。しかし、現地で様々な人脈を得ていた砂川さんは、事件発生直後から多くの情報を掴んでいました。当時の中東各国の状況、航空事情などから、「高飛びするならバーレーンに入国している可能性が高い」と直感。交際のあった空港職員、スチュワーデス、ホテルマンなどからの情報を元に、様々な困難を乗り越えて、ハチヤシンイチ、マユミが泊まっているホテルを突き止めたのです。

 では他の大使館職員は何をしていたか。何と、本省から出張で来たお偉いさんの接待で夕食会を開いていたのです。そんなことやっている場合ではないのに、危機管理意識がまるでありません。中東特有の難しい事情があったとはいえ、「関係先いくつかに電話で問い合わせ、調べた結果、不明と返信すればいい」程度の認識だったそうです。対米開戦前夜、呑気に送別会を開いていた在ワシントン日本大使館の失態を彷彿させられます。尤も、当時の外務省幹部の失態だけに、このような話はドラマではやらないと思いますが…。

 これ以上、私が詳しいことを書くと、ドラマの楽しみがなくなってしまいますので、やめておきますが、砂川さんは殆ど一人で、ホテルにいる2人を監視、様々な苦労の末に翌朝、空港で出国ゲートに先回りし、
「日本大使館の者です。パスポートを拝見…」と回収し、2人の確保に成功したわけです。しかし、砂川さんや現地警察がほんの一瞬、目を離した隙に2人は服毒自殺を図り、シンイチこと金勝一は死亡、マユミだけが一命を取り留めたのはご承知の通りです。

 砂川さんは病院に何度もマユミを見舞い、日本語、中国語、英語の3カ国語で話し掛けました。「何か困っていることはありませんか? 助けてあげますから…」と、優しく語り続けたそうです。パニック状態に陥っていたマユミは、日本人を装ったり、中国人になりすましたりしていましたが、韓国大使館員が韓国語で話し掛けると、わざと分からないふりをする様子が見て取れたそうです。やがて最後には、大粒の涙を流しながら、「あのね、私ね、日本人じゃないのに…。親切にしてくれて、ありがとう…」そう答えたそうです。「マユミは心を開き始めた。あと3日あれば落とせる!」砂川さんは確信した。ところが、彼女が日本人でないことを東京に報告すると、日本政府の反応が急に冷たくなったというのです。

 結局、日本はマユミを引き取らず、韓国への移送が決定。砂川さんは地団太を踏んで悔しがりました。この時点でマユミの犯罪容疑は、まだ大韓機の爆破ではなく、日本の偽造旅券を使用したことだけです。まず日本に連れて来て、日本の警察が取り調べるのが筋でした。バーレーン政府関係者も訝ったそうです。「なぜ日本は身柄の引き取りを求めないのか?」と…。

 やがて韓国に移送されたマユミ、つまり金賢姫の口から李恩恵こと田口八重子さんの存在が明るみになります。もし日本に連れて来て取り調べていれば、拉致事件などの解明も、もっと早く進んだことは間違いありません。少なくとも砂川さんがいなければ金賢姫は決して捕まってはおらず、金賢姫が捕まっていなければ大韓機事件は、「日本人の仕業」とされていたでしょう。ただでさえ反日感情の強い韓国のことです。国交断絶ぐらいでは済まない、大変な事態になっていたであろうことは想像に難くありません。いわば国難、日本外交の危機を救ったと言えます。


 事件後間もなく、一時帰国した砂川さんは、事の詳細を報告するため、資料や写真、録音テープなどを提出しようとしました。ところが外務省幹部は、こう言い放ったそうです。「そんなものは要らない。見る必要はない。犯人を韓国に引き渡したのだから、もうわが国とは一切、関係がなくなった」臭い物に蓋、事なかれ主義、危機管理意識のカケラもない見事な平和ボケぶりです。ちなみに時の首相は竹下登、外相は宇野宗佑でした。

 砂川さんの活躍は、事件後間もなく、私は親父から聴かされていました。「あれは砂川君の大手柄だったんだよ。彼は大したことをしてくれたもんだ!」と、自分のことのように喜び、詳細を話していた姿が今も強烈な印象に残っています。しかし、親父は私たち家族に、固く口止めをすることも忘れませんでした。「このことは一切、他言無用だ。絶対に口外するな! 万が一、マスコミにでも知られたら厄介なことになる…」北朝鮮がどういう国か、私もよく分かっていましたので、砂川さんの武勇伝を人に話すことは一切できませんでした。

 やがて、恐れていたことが現実となります。当時、既に東側の諜報機関などから「ヨーロッパで行方不明になっている日本人が、北朝鮮に渡っているらしい」との情報を掴んでいた砂川さんは、一向に重い腰を上げようとしない本省に業を煮やし、単身でウィーンの北朝鮮大使館に飛び込むというスタンドプレーをやってしまったのです。外務省職員が許可なしに国交のない国の人間と接触することは、重大な訓令違反になります。キャリアでもなければ、私の親父の推薦状一枚で入省した砂川さんを庇う上司もいなかったようです。砂川さんは笑って、決して答えようとしませんが、キャリアたちの嫉妬などもあっただろうと私は想像します。これが元で砂川さんは、外務省を辞めざるを得なくなってしまいました。

 そして怪しい影が、彼をつきまとうようになりました。来る日も来る日も、得体の知れない男たちに追われ、逃げ続ける日々が続きます。雲隠れし、住居を転々と変えても変えても、すぐに見つけられ、追われるようになります。買い物に出る時も防弾チョッキを着て外出する。そんなことの連続だったそうです。金賢姫が「美人テロリスト」として脚光を浴び、ブラウン管などを賑わせた一方で、もう一方の「主役」は決して、表舞台に姿を現すことはありませんでした。

 私たち家族は、金賢姫の姿がニュースなどでブラウン管に現れる度に、話したのは砂川さんのことばかりでした。「砂川君、どこでどうしているのか…」と親父はいつも顔を曇らせ、「いっそのこと、金賢姫なんか捕まえなければよかったんじゃないか。これでは犬死同然ではないか?」と、私も憤懣やる方ない思いがしたものです。砂川さんが逃亡生活を続けた15年間は、私たちにとっても後味の悪い、重苦しい心境でした。

 転機は2002年9月に訪れます。小泉首相が北朝鮮を訪問。金正日が拉致を認め、日本の世論は一変します。その後は、もう砂川さんも追われることはなくなり、それまで彼を護ってきた公安関係者から、「もう大丈夫だろう。真実を世に明かしなさい」と、安全宣言が出されました。こうして出版されたのが、砂川昌順著「極秘指令」〜金賢姫拘束の真相〜(NHK出版、1680円)という本です。ご関心のある方は是非お読み頂けると嬉しいです。

 本来ならば砂川さんはその功績を讃えられ、国から最高位の表彰を受けていなければならないはずです。しかしながら、彼は未だに何の褒美も貰ってはいません。外交官の鑑と言えば杉原千畝氏が有名ですが、これでは将来、国のために命を懸けて仕事をする外交官はいなくなってしまうでしょう。否、外交官ばかりではありません。全ての公務員、民間企業に勤める人たちとて同じです。今からでも政府には、彼に対する再評価を強く求めたい気持ちです。

 砂川さん役の俳優、高嶋政伸さんは、砂川さんとはイメージが随分と違うのですが、熱血漢ぶりが買われたそうです。テレビ番組制作会社のスタッフとは私も3回、直接会い、当時のガーナや砂川さんのことなどを詳しく説明し、番組作りに少し協力しました。ただ、私はもちろん、砂川さんも番組を見ていないため、どのような内容かは、正直、分かりません。なるべく事実を忠実に再現するとは聞きましたが、面白くするための脚色はされているでしょうし、私たちの意向が反映されているか、見終わって期待外れでガッカリ…となるかは、何とも言えません。
(以上、転載終わり)

 砂川昌順氏拉致問題の集会でも積極的に発言されています。組織の中で個人が明確な問題意識を持って取り組むことがどれだけ重要なことで、社会を動かすことすら有るということでしょう。著書も読んでみます。皆様、是非、ご覧下さい!
small_ribon.gif組織の中でも埋もれずに常に問題意識をもって仕事に当たるべき、という方はこちらを押してください。
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posted by 小坂英二 at 11:44| Comment(6) | TrackBack(1) | 区政全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ドラマの出来具合がどうなっているかは、少々不安ではありますが。
それでも、こういうご活躍をされた方が。
こういう形でTVで取り上げられて、世に知られる、ということは。
決して悪い話ではないと思います。
Posted by michel at 2007年12月12日 18:10
そういう方の勇気ある行動にささえられているんですね。

是非、そのドラマを見たいと思います。

しかし、、、外務省は何をしているんでしょうね、まったく。
Posted by ♪う♪ at 2007年12月12日 21:01
ミクシィから来ました。
思わず引き込まれてしまいました。

・・世の中に正義はあるのですね。
改めて感じました。

微力ながら少し。砂川氏のこと、宣伝したいと思います。
Posted by ウィングたかはし at 2007年12月13日 06:27
砂川さんのような人が辞めなければならない官庁って何なんでしょうね。
TV拝見します。
本も読んでみます。
Posted by buru-ri- at 2007年12月13日 13:24
いろいろ考えさせられますね。教えてくれてありがとう。
中近東で暮らしていて、大使館公務員も身近に見ているので、状況はとてもよくわかります。真の全体への奉仕者がバカを見ないような世の中にしていかねばなりませんが、昨今のさまざまなニュースに接するに、暗澹たる気持ちです、、、。しっつこいようで恐縮ですが、小坂君、出番ですよー。世界が君を待ってるんだから、もう。
UAE在住のカンメーより
Posted by カンメー at 2007年12月13日 19:30
>>コメント下さった皆様
 多くの方から反響をいただいて嬉しい限りです。砂川さんのような方がきちんと報われる社会でなければならないですよね・・・。
Posted by 小坂 英二 at 2007年12月17日 12:40
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