(以下、朝日新聞より引用)シベリア抑留兵4万5千人の名簿、元教師がネット公開
新潟県糸魚川市の元中学教師・村山常雄さん(79)が、終戦後シベリアに抑留されて亡くなった日本兵約4万5000人の名簿を作成し、インターネットのホームページで公開を始めた。
中略
シベリアでは約60万人が抑留され、約5万5000人が死亡したと推定される。厚生労働省は1991年からこれまでに約4万人分の名簿を公開したが、旧ソ連の資料を音訳したものが多く、すべてがカタカナ表記で、名前の重複や間違いも多いという。
村山さんは同省の資料のほか、直接ロシアに出かけて墓碑に刻まれた名前を書き写したり、抑留者や遺族に聞き取ったりして、10年がかりで名簿を集めた。約3万人分は漢字でも表記し、発音上の誤りとみられる名前も修正した。
今年6月には教え子の協力を得てホームページも開設。五十音順に死者の名前、生年・死亡年月日、階級、収容所、埋葬地などを記してある。
自身もハバロフスクなどの収容所で約4年間抑留された村山さんは、教職の傍ら、抑留体験記を書き続けたが、名簿を集めようとしたきっかけは1969年のシベリア再訪だった。
鉄道敷設などの重労働を課せられ、衰弱と飢えで息絶えた何人もの仲間たち。その墓地は草に覆われ、あまりにも粗末に扱われていた。「自分の抑留記を書くより、この人たちのことを書いて弔わなければ」と、心に決めた。
定年退職後、独学でパソコンを覚えて本格的に取り組み、戦後60年の節目にあたる今年中の完成を目指した。名簿は来年にも自費出版し、全国の主要図書館に送る予定だ。
村山さんは「戦争で心ならずも亡くなった死者たちに思いをはせ、しのぶ機会になればありがたい」と話し、全国抑留者補償協議会は「漢字にしたことで、遺族が確認できる場合も出てくるはずで、大変貴重だ」と評価している。(以上、引用)
そのシベリア抑留中名簿はこちら(音が出ます)です。仲間の協力を得ながら、4万6千人近い名簿を重複をチェックしながら纏め上げた村山さんはこちらに書いてあるように「蕭条たる原野に、いまなお草蒸す土饅頭の羅列-------。非業の死より半世紀、なおシベリアの地下に囚われけるこの人々を、「名もなき兵士」に終わらせてよいのか」といった一心で取組まれたのです。シベリア抑留中名簿のページの上部から見ることができる関連資料(例えば、こちらのページ)もシベリア抑留について知る貴重なデータだと思います。
このシベリア抑留についてのロシアとの戦後処理をこちらで指摘されているようにきちんと進めることが、日本政府に課せられた責務だと思います。余り知られていない、また報道も少ないシベリア抑留について知っていただくと同時に、こうしてこつこつと戦友を思い地道に名簿を作成してこられた村山さんのご努力を多くの方に知っていただきたく、ご紹介させていただきました。
☆村山常雄さんの尽力に心から敬意を払う、という方はこちらを押して下さい。
を再読中。
この小説を見ていると、日本分断を阻止するため、沢山の日本軍将兵がソ連の侵略に立ち向かったことが偲ばれます。
彼らの戦ぶりには、後世の日本人として、ひたすら頭が下がる思いです。
来年また靖国へ、彼ら英霊を思い、参拝してこようと思います。
ちなみに「日本民主主義人民共和国」が成立していたら…な小説はこちらw
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4198919380/qid=1127751386/sr=1-2/ref=sr_1_2_2/250-9538576-4237809
朝日でさえも使用しなくなった「強制連行」と言う単語ですが、日本人に対するシベリア抑留は本当の意味の強制連行ですよね。