2007年08月06日

8月15日、靖国神社に小坂と共に参拝しましょう

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 8月15日は、日本の行く末を憂いながら戦いの中で命を落とされた先人を偲び感謝をし、日本の誇りを守っていくことを誓う日と考えています。「靖国神社に参拝する地方議員の会」の発起人として小坂ももちろん8月15日に参拝させていただくのですが、この日に志を同じくする方と共に参拝できればこれほど嬉しいことは有りません。ここ数年、有志の方を募り、昨年は40名ほどで昇殿参拝させていただきました。今年も、以下の要領で共に参拝させていただければ幸いです。

日 時:平成19年8月15日(水)

集合場所・時間 午前10:00 靖国神社 大鳥居 前
      目印=荒川区議会議員 小坂英二の小旗

10:30 昇殿参拝(例年、この日は混雑しますので、お待ちいただくことになるかもしれません)

玉串料:500円
   (昇殿参拝のみ。遊就館を参観したい方は、個別にお願い致します)

昇殿参拝の後、時間の都合のつく方と共に昼食をいただきます(各自、実費となります)。

※この日、小坂は「靖国神社に参拝する地方議員の会」の会員として多くの地方議員の方と共に8:40に集合・参拝した後、有志の皆様と昇殿参拝させていただく予定です。

★参加される方は、こちらのメールアドレス(kosakaeijiarakawakugikai@docomo@ne.jp)までご連絡いただけると助かります。また、直接携帯電話(090−1432−9069)までご連絡いただいても結構です。どうぞ、宜しくお願いします。

small_ribon.gif日本の為に命をかけて闘われた英霊に感謝の祈りを捧げることは当然のこと、という方はこちらを押してください。
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2006年08月18日

日章旗返還の打ち合わせ

 6月26日の記事やその記事中のリンク先(こちらに経緯を書きました)に書いたように、米国で発見された日章旗の寄せ書き(英霊がフィリピン・ルソン島へ出征時に体にたすきがけにしていたもの)を日本のご遺族に返還する目途が立ちつつあり、その打合せをするために福島県いわき市でご遺族とお会いしてお話をして参りました。ご遺族と小坂、米国での日章旗を持っている方のお知り合い(来日中)で会って、様々な縁でこうして返還に道筋がついたことに感慨を感じながら、お互いの考えを出し合いました。
 詳細はお書きできませんが、今年中にいわき市にある英霊の菩提寺にて日章旗を返還し読経供養をしていただく方向となり、地元の遺族会とも相談しながら準備を進めていくこととしました。
 いわき市こちらのページに出ているような海の美しい街です。と言っても観光に来たわけではありませんので、英霊のお墓に参らせていただき、菩提寺で話をしたり、ご遺族の自宅に移動する際に車窓から見ただけですが・・・。いつか、ゆっくりと時間をとって訪問したいと感じる街でした。

 小高い岡に立つ戦没者の慰霊碑(靖国の塔)も訪れ、今回のことをご報告して参りました。慰霊碑には日章旗を持って出征された英霊の名前が書かれていました。自宅においては英霊やご家族の様々な記録、写真を見せていただきながらエピソードを聞かせていただいたり・・・。とても時間が流れるのが早く、後ろ髪を引かれながら帰りの特急に飛び乗り、一路荒川区へ。この返還が一人でも多くの方が歴史を省みる気持ちを持ち、また日米友好に寄与することになればと願っております。

small_ribon.gif日章旗の返還には大きな意義が有る、と考える方はこちらを押してください。
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2006年08月15日

靖国神社で感謝の祈り

7:40 自宅テレビにて小泉総理の靖国神社参拝を見て「8月15日に総理が英霊に感謝と報恩の祈りを奉げるという当たり前のことがやっと行なわれた。」と安堵しました。1ヶ所立ち寄りすぐに靖国神社へ向かいました。PICT2874.jpg

8:40 今年もまずは「靖国神社に参拝する全国地方議員の会」の一員として参拝すべく、集合場所の大鳥居前へ到着。賛同議員は107名、そのうち当日都合のついた70名程度の議員と共に参拝、感謝の祈りを奉げました。

9:15 多くの地方議員と近況の報告をし合った後、テレビ「日本文化チャンネル桜」のインタビューを受けました。

10:15 「小坂英二と共に靖国神社に参拝しませんか?」の呼びかけに応じて共に昇殿参拝をする方々が35名と昨年よりも増えました。同じ志を持つ方と参拝できることはとても嬉しいことです。その集合時間です。

10:40 予め予約しておいた昇殿参拝の本受け付けを行ない、待機。参拝が集中する日なのでかなり待った後、他の2つの団体と共に昇殿参拝。御神体の左右に「内閣総理大臣 小泉純一郎」と書かれた供花が。感謝と報恩の祈りを奉げながら、「日章旗の返還」が近いうちに行なわれる運びとなったことをご報告しました。お神酒を飲み、ご供物等を受取り参拝終了。
12:00 戦没者のご冥福を祈り、黙祷。
12:20 時間の許す方と昼食。その後、すぐ近くの弥生廟(概要はこちらの記事の下半分をどうぞ)を訪れ、警察・消防関係で命を落とされた方々に祈りを奉げました。同時に、かつては神道形式で奉られていたにも関わらず、「政教分離」批判に怯えて神道形式を排除した無宗教施設に切り替えてしまった実例として、一人でも多くの方にその実態を見ていただきたかったこともあり共に訪れたのです。多くの方の感想は「これはひどい・・・」というものでした。

13:45 境内の様々な団体や個人の表現活動を見た後、遊就館へ。毎年8月15日は凄く混雑していることもあり、館内で上映された映画「氷雪の門」(関連ページ)を初めて鑑賞しました。南樺太で電話交換業務をしていた9人の女性の悲劇を描いた映画です。8月15日に玉音放送が流され、停戦l協定が結ばれているにも関わらず、その後も無抵抗の軍人のみならず、民間人を徹底的に虐殺し続けたソ連軍の非道が行なわれる中、婦女子には緊急で「疎開命令」が出されます。しかし、「自分達が電話交換業務をしなければ、これから避難活動をする住民の連絡手段が途絶えてしまう。それに、自分達が逃げた後を男子中学生を緊急で訓練して電話交換業務に当たらせるという話だが、そんなことは受け入れられない。また、私達の仕事はそんな簡単なものでは無いし、素人が行なうとかえって混乱するので、自分達は残る。」と多くの電話交換手が決意し、その中でも最終的に残った9人がソ連兵に囲まれて自殺するまでを描いています。
 昭和48年に作られた作品ですが、「日本国外務省がソ連大使館の圧力によって、封切中止に追い込まれた、いわくつきの「幻の実録映画」」です。。戦争の悲惨さ、人間の愛情、仕事にかける責任感・誇り、守るべきものを守れない状況の恐ろしさ、などが伝わってくる映画でした。こうした事実をもっと次の世代にも伝えていかなければなりません。

参考記事:平成15年の「月刊 正論」記事

当時の情勢

16:50 大鳥居に集合し、参拝者有志で懇親会へ。活発な意見・情報交換が行なわれ、気付くと22時。あっという間の5時間でした。その後、解散。昨年の8月15日の参拝人数20万5千人をはるかに超える25万8千人が今日、参拝されたとの報道を聞き日本も本来のあるべき方向に向かっていることを確信しました。
 

 今の日本が存在するのは、多くの先人が公の為に命をかけてこられた歴史の積み重ねがあったからこそです。そうした方々に感謝し、こうして平穏に暮らし仕事ができることを有り難く思い、次の世代に誇りを持てる日本を引き継いで行くために何ができるかを常に考えながら政治活動も日々の暮らしもしていこうと常に心がけています。今後も、こうした気持ちを忘れずにいることを誓った1日でもありました。

small_ribon.gif先人への感謝の祈りは当然のことと考える方はこちらを押してください。
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2006年07月25日

「昭和天皇の発言メモは捏造」について

 昨日の記事を読んでいただいた前提で続きを書きます。まず、参考までにこれまでに明かにされているメモの全文を以下に示します。


富田・元宮内庁長官のメモ裏面              
             63.4.28 [■]
☆Pressの会見                            
[1]   昨年は
  (1) 高松薨去間もないときで
    心も重かった
  (2) メモで返答したのでつく
  していたと思う
  (3) 4.29に吐瀉したが その前で
    やはり体調が充分でなかった
  それで長官に今年はの記者
  印象があったのであろう
    =(2)については記者も申して
    おりました
 
[2]  戦争の感想を問われ
  嫌な気持を表現したが
  それは後で云いたい
  そして戦後国民が努力して
  平和の確立につとめてくれた
  ことを云いたかった
  "嫌だ"と云ったのは 奥野国土庁長
の靖国発言中国への言及にひっかけて
云った積りである


富田・元宮内庁長官のメモ表面        
               4.28 [4]
  前にあったね どうしたのだろう
  中曽根の靖国参拝もあったか
  藤尾(文相)の発言。
 =奧野は藤尾と違うと思うが
  バランス感覚のことと思う
  単純な復古ではないとも。

  私は 或る時に、A級が
  合祀され その上松岡、白取
  までもが、
   筑波は慎重に対処して
  くれたと聞いたが

                      
〇 松平の子の今の宮司がどう考
余そ  えたのか 易々と
り う    松平は平和に強い考が
閣で  あったと思うのに 親の心子知
僚す  らずと思っている
も が   だから 私あれ以来参拝
知か  していない。それが私の心だ
ら多
すい

     ・ 関連質問 関係者もおり批判になるの意
(以上がメモの内容です)

 昨日の記事ではリンク先を参考ページとして挙げたのは様々な解釈が可能であり、昭和天皇の発言と断定する根拠が皆無であることを示すためです。また、いくつかのパーツに分かれているこのメモは全体が一人の発言の内容を一度に書きとめたものなのか、複数の人間の発言を1つのメモに続けて書いたのか、どちらの解釈も可能です。なにしろ主語が無いのですから・・・。[1][2]は徳川前侍従長の発言、[4]は藤尾元文相の発言といった解釈も可能ですし、[4]の中の「前にあったね どうしたのだろう  中曽根の靖国参拝もあったか」という言葉は富田元長官の心の内を記したのかもしれません。最期の欄外の「・関連質問・・・」「そうですがか多い・・・」なども解釈が多様にできます。

 昭和天皇がお隠れになる昭和64年やその前年の63年の昭和天皇のご動静については、図書館にでも行けば多くの書籍がドキュメントや回想録として複数読めますので、4月を中心に私も確かめています。

 メモに63.4.28 [■] ☆Pressの会見とありますが、はっきりしているのは昭和63年4月28日には昭和天皇の記者会見は行なわれていません(他に誰かの記者会見が有ったかは不明です)。天皇誕生日を前にした4月25日には記者会見が行なわれていますが、その内容は当時の29日の新聞に詳しく記載されていますが、上記メモの一部に関連する記載があるのみで、大東亜戦争に関する責任者について個人名を挙げての発言は一切していません。また、徳川侍従長は4月12日に退任の記者会見を行なっていますが、当時の日経新聞、毎日新聞、朝日新聞の4月12日夕刊によると昭和天皇の強い希望で、侍従長退任後も4月下旬から侍従職参与として引き続き、皇居に通い昭和天皇の日常のご相談役、歌づくりへの対応をすることになったそうです。当時の日経新聞の記事によると、それまでは侍従長は宮中の側近が勤めてきたのですが、徳川氏退任後、キャリア官僚である山本氏が侍従長に就任しています。宮内庁は官僚機構・官邸側の「オモテ」と皇室の側近である「オク」の区別が明確であり、「オモテ」の人間が「オク」の責任者を始めて勤めるにあたってやはり当初は勝手がわからない面もある。そこで前の侍従長に侍従職参与として引き続き昭和天皇の傍に仕えるようにしながら、「オモテ」と「オク」を一体化させようとしたとの分析が成されています。そのように働きかけたのは警察機構において絶大な権力を誇り、富田長官の実質的なボスである後藤田正治氏であったということです。
 そうした環境において、徳川侍従職参与から折に触れて意見を聞いていたことは大いに考えられます。

 日経の記事が根拠を示さず、「昭和天皇の発言」とぶち上げたことが捏造であると書いたのは以下の例え話と同じことをしていると考えたからです。

例え話:藤○教授という考古学博士が亡くなり、遺品を調べていたらビニール袋に入った石器のような石が大量に出てきた。その袋には「荒川区にて発掘。50万年前の地層から出てきた。」と書いたメモが貼りつけて有る。それを受けて、すぐさま新聞で「荒川区にて50万年前の人類が使っていた石器が大量に発掘される」と一面で発表する。考古学の権威が「歴史的発見だ」とのコメントもしっかり記事に付けて。しかし、その石器の年代測定をしたのか、誰が鑑定したのか、そのメモは本人が本当に書いたのか、荒川区のどこから発掘したのか、偽物の可能性は無いのか、そうした点については何らの記述も無く、説明を求める声が上がっても無視。「歴史的発見」であるなら広く公表するのが当然であるのにそうしない。そんな記事を私は「捏造記事」と呼びます。

 何ら根拠の無いことをあたかも固定的事実として報道する今回の「富田メモ」の記事は捏造記事です。今後、日経新聞に説明を求め責任を問うていく必要が有ると考えています。

small_ribon.gif日経新聞の「富田メモ」についての記事は捏造記事、と考える方はこちらを押してください。
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2006年07月23日

海の特攻、「回天特攻隊」の映画

 大東亜戦争末期に海の特攻隊である「回天特攻隊」(詳細はこちら)(映像と音楽による説明ページ=涙無くして見られません・・・)を正面から取り上げた映画「出口のない海」が9月16日から公開されます。

 愛する者が住む祖国日本を守りたいとの気持ちで命を散らしていったこうした方々のことを多くの者が忘れ、あるいは故意に無視し、利己主義、刹那的な生き方が目立つ日本となってしまったこと、英霊に対し本当に申し訳無いという気持ちで一杯です。戦争中、こうして命を燃やしきった若者がいたことを、映画を通じてでも一人でも多くの方に思い起こして欲しいと心から願います。

 small_ribon.gif日本の行く末を憂いながら命を投げ出した英霊に感謝の気持ちを奉げることは当然のこと、と考える方はこちらを押してください。
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2006年06月26日

英霊の日章旗寄せ書き、遺族への返還実現へ

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 この件については昨年11月14日の「大東亜戦争時の日章旗の寄せ書きをご遺族のもとへお返しできることになりました!」という記事に経緯を一通り書きましたので、まず、お読みいただければ幸いです。

 前の記事中のJさんやAさんは早期に来日し遺品の日章旗を返還をなさりたかったのですが、来日には多くの費用がかかるため、その費用の捻出に努力をなさっていたのです。その努力の一例として、米国のテレビ局に経緯を話し、ドキュメンタリー番組を作ってはどうかと提案し、その際の来日費用をテレビ局に負担してもらうというものです。

 その案が見事通って、CBS(米国の主要テレビ放送網)系列のテレビ局が、JさんとJさんの母親の来日費用の拠出に応じてくれる」こととなりました。「日章旗返還」のドキュメンタリー作成を企画しているそうです。順調に話が進めば、来日時期は今年の9月になるという連絡をいただきました。

 戦後61年を経て返還への道筋が固まってきたことをご遺族はとても喜んでおられて、心待ちにしておられます。小坂もその場に立ち会えることを、大変嬉しく思っています。具体的にどこで、どのような形で返還を行うかはご遺族のお気持ちを第一にこれから決めていくことになりますが、嬉しいお知らせとして書かせていただきました。日本と米国の様々な立場の方のご協力あって、ここまで話が進んできたこと、この場でも心から感謝申し上げます。

 7月13日から16日まで行われる靖国神社みたま祭で靖国神社を参拝する予定ですが、その時に英霊として眠っておられる坂本信作様に神前で謹んでご報告させていただこうと考えています。

small_ribon.gif日章旗が返還される運びとなったことを嬉しく思う、という方はこちらを押してください。
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2005年11月14日

大東亜戦争時の日章旗の寄せ書きをご遺族のもとへお返しできることになりました!

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 9月28日の「大東亜戦争の遺品を遺族のもとへ!」の記事(是非、お読み下さい)の中に「小坂もある縁からある方がお持ちの遺品の遺族探しをそうして進めている件がありますが、結果が出ましたらまたサイト上でご報告したいと考えています。」と書いていました。

 今日、厚生労働省から連絡が有り、一定の方向性が出ましたのでご報告致します。

 まず、始まりは今年の8月18日に受け取ったメールでした。米国在住の日本人の方(Jさん)から「アメリカ人の友人より「沖縄で戦死されたと思われる日本人が所有していた寄せ書き入りの日章旗をご遺族に返却したい」という相談を受けた。拡大写真を2枚添付ファイル(※上記はうち1枚の縮小写真)として送るので、ご協力をお願いしたい」旨のメールが小坂のもとに届きました。寄せ書き署名の中に「在郷軍人会 日暮里西分会長」や「日暮里西分会 第五班長」の文字が有るため、荒川区の議員ということでネットで小坂の存在を知り、ご連絡下さったようです。

 こうしてメールをいただいたのも必然の縁と思い、なんとしても遺品を遺族のもとに届けられるように、微力ながらお役に立てればと、区の郷土資料館、図書館、区役所、靖国神社、荒川区遺族会、従軍経験の有る地域の方からの資料収集、聞き取り等をし、寄せ書きを贈られた方は戦場で亡くなられた英霊であること、ご遺族は戦後しばらくは区内にいらしたものの区外に転出されていることが分かりました。「その後のご遺族の所在」と「遺品を受け取る意志の確認」「現住所を照会依頼人=小坂に公開して良いか」等を確認するために厚生労働省に調査を文書で依頼し、厚生労働省から都道府県経由で照会作業をしていただいておりました。

 この日章旗は、Jさんの友人であるアメリカ人のAさんの祖父が所有していたもので、しばらく前に亡くなったAさんの祖父の自宅を片付けていたAさんのお母さんが見つけたそうです。お祖父さんがそれを所持するに至った経緯については不明、お祖父さんは比較的無口な人だったようで、唯一分かっているのは彼が沖縄に駐留していたことがあるということだけのようです。

 ご遺族の所在が明らかになり遺品の直接の受取を希望されているならAさん家族とJさんは来日されるご意向ですが、小坂も共にご遺族のもとへ伺い、遺族と面会して返還を行えればとJさんと話していました。

 厚生労働省からの返答には時間がかかりましたが、今日、電話で「遺族の所在(東北地方)が明らかになったこと」「遺品の返還を希望していること」「照会依頼者への住所等連絡先の通知も認めていること」をとり急ぎご連絡いただきました。詳細は文書にて数日中に連絡が来る予定ですが、Jさんに早速連絡させていただきました。早速返事をいただき、日程を調整して来日される旨を伝えて下さると同時にこの話をブログに書くことの了承もいただきました。Jさんの言葉「一人でも多くの日本人およびアメリカ人にこの国境・世代を超えた厚意と人情が存在することを知って頂きたく思います。」には全く同感で、実に多くの方のご助言や働きかけをいただきこうして返還できる運びとなったことに心から感謝し嬉しく思うと同時に、多くの方にこうしたことを知っていただければと思い、書かせていただいた次第です。こうした結果に結びついたのもAさんのご家族が「遺品をご遺族に届けたい」と強く願い、Jさんがその願いに応えて日本に向けて動かれたからこそです。実際に返還した際にはまたご報告させていただくつもりですが、まずは「遺品を返還できることになった!」嬉しい報告として。

★戦後60年を経て米国から日本の遺族のもとに遺品が届けられることが日米親善に寄与できると良い、と思われる方はこちらを押して下さい。
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2005年10月24日

日本が果たした役割

10月17日の記事でご案内した通り、東條英機元首相の孫である東條由布子氏から戦前、戦後、現在まで多岐に渡る話を伺う勉強会に参加して参りました。
 話の内容は極東軍事法廷の話、現在理事長を務めるNPO法人環境保全機構の話(1.大東亜戦争の遺骨収集(特にパラオのペレリュー島:参考記事=未だ大量の遺骨が放置されたままの状況に心を痛め活動なさってます)、2.愛知県にあるユートピア・三ケ根での慰霊活動)をはじめ多岐に渡りました。その話の中で紹介された文章「オランダ人の良心(アムステルダム市長の挨拶)」をご紹介したいと思います。以前にもネット上で読んだことがある文章ですが、東條氏もこの文章を多くの方に知って欲しいと、今日の勉強会で資料として配布して下さったものです。

オランダ人の良心(アムステルダム市長の挨拶)

 平成3年、日本傷病軍人会代表団が大東亜戦争の敵国であったオランダを訪問した際に、同国の傷病軍人代表と共に、首都アムステルダム市長主催の親善パーティーに招待されました。その時の同市長の歓迎挨拶です。
 「あなた方の日本国は先の大戦で負けて、私どものオランダは勝ったのに大敗をしました。今日の日本国は世界で一、二位を争う経済大国になりました。私たちオランダは、その間、屈辱の連続。即ち、勝ったはずなのに、貧乏国になってしまいました。
 戦前は「アジア」に大きな植民地(ほぼ現在のインドネシア)があり、石油等の資源・産物で、本国は栄耀栄華を極めておりました。しかし今では、日本の九州と同じ広さの本国だけになってしまいました。あなた方の日本国は、アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない。アジアの諸民族に大変迷惑をかけたと、自らを蔑み、ぺこぺこと謝罪していますが、これは間違いです。あなた方こそ、自らの血を流して、アジア民族を解放し、救い出すという人類最高の良いことをしたのです。
 何故ならば、あなた方の国の人々は過去の真実の歴史を目隠しされて、先の大戦の目先のことのみを取り上げ、或いは洗脳されて、悪いことをしたと自分で悪者になっていますが、ここで歴史を振り返って真相を見つめる必要があるでしょう。本当は、私共白色人種が悪いのです。百年も二百年も前から、競って武力で東亜諸民族を征服し、自分の領土として勢力下に置いたのです。植民地・属領にされて、永い間奴隷的に酷使されていた東亜諸民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大崇高な理想を掲げて、大東亜共栄権樹立という旗印で立ちあがったのが、貴国日本だったはずでしょう。本当に悪いのは、侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は戦いに敗れましたが、東亜の解放は実現しました。即ち、日本軍は戦勝国の全てをアジアから追放して終わってのです。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成しました。日本の功績は偉大であり、血を流して戦ったあなた方こそ、最高の功労者です。自分を蔑むことを止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきであります。」

 日本の歴史を肯定的に捉えている国や人々が多く存在することをマスコミはなかなか報道しません。こちらのページでその一部が紹介されていますのでリンク先も含めて是非、ご覧下さい。

★日本の歴史を客観的に見直すべき、と考える方はこちらを押して下さい。
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2005年10月17日

靖国神社参拝という当たり前の行為に対する過剰反応

 今日、小泉総理が靖国神社参拝をされたことを嬉しく思っています。靖国神社参拝についての小坂の認識は7月16日のブログ記事(リンク先も是非、ご覧下さい)や7月7日のホームページ記事に書いておりますので繰り返しませんが、一国の総理が英霊に感謝の祈りを捧げるのは至極あたりまえのことです。

 本殿における参拝もしなければ、二礼二拝一礼(注釈:一つは人には最敬礼で一度の礼をするのが重い礼作法ですが、当然神に対する畏敬の念はそれより重く、一拍手めは感謝や儀礼的拍手又合図の拍手、二拍手目は祈念の拍手という意味が有ります)もしないという点が残念でしたが、支那や韓国の言いがかりに屈することなく年に1度の参拝を欠かさないという約束を果たしてこられたことは評価に値すると思います。

 この靖国神社参拝に対してのマスコミの反応は相変わらず異常です。こちらのブログで新聞各社の論調を読むことができます。新聞もテレビ報道も一部を除いては「総理一人のわがままを通したおかげで、中国や韓国(政府として日本に抗議してきたのはこの2国だけなのに「アジア諸国」と表現することが不思議・・・)を怒らせ関係者に迷惑をかけている。」「総理は中国や韓国との交流を進めることこそが国益なのに意地を張ってばかりで国益を損ねている」といった浅はかなコメントが目立ちます。そうしたコメントに対する小坂の考えは7月7日のホームページ記事に書いた通りです。悲しいのはこうした類のコメントをマスコミ関係者だけでなく現役の自民党国会議員までもがしていることです。
 
 A級戦犯などといったいわれの無いレッテルを貼られて処刑された東条英機元首相の御令孫にあたられる東条由布子氏(インタビュー動画はこちら)の話を聞く団体の講演会が荒川区荒川で開かれます。捏造された教科書などではなく、歴史上の当事者のそばにいた方から直接話を聞く良い機会です。10月24日(月)の18:10開始で会費は無料。参加を希望される方は小坂までメール(kosakaeiji@1995.jukuin.keio.ac.jp)でご連絡下さい。詳しい場所等折り返しご連絡いたします。著書も多数執筆されていらっしゃいますので、是非、お読み下さい。

★総理が靖国神社を参拝することは当たり前のことで支那や韓国に言いがかりをつけられる問題では無い、と考える方はこちらを押して下さい。
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2005年09月28日

大東亜戦争の遺品を遺族のもとへ!

 大東亜戦争集結から60年が経過しました。国を想い英霊となられた方の遺族も代替わりが進んでいます。一方で、戦地で散逸した「英霊の遺品」(日の丸寄せ書き、刀、手帳、写真等)が遺族のもとに帰らずにいます。そうした状況を憂う方がネット上で、遺品の写真や情報を掲載し情報提供を呼びかけるページが増えています。また、一方で悲しいことにこうした遺品が国内外でネットオークションなどで売買取引の対象となって流通しています。
 しかし、こちらの例のように、情報提供呼びかけページを見た方の情報により、遺族のもとに遺品が届けられたケースも多く有り、この問題について知っていただき、関連サイトの紹介などもさせていただきたく記事を書きました。

 まずは、こちらをご覧下さい。
「旧日本軍の遺留品の持ち主を探しているページ」

「在米日本人が遺族についての情報提供を呼びかけています」

「ディスカバリーチャンネル」で日章旗についての情報提供を呼びかけ

「遺品が返還された例」

参考報道記事:「こんな悲しい事情も・・・」

「オークションで売りに出されている遺品の一部。心が痛みます」

こちらもオークションサイト・・・

 こうした遺品探しは、まず厚生労働省や都道府県の担当部署と連絡を取りながら進めることになります。小坂もある縁からある方がお持ちの遺品の遺族探しをそうして進めている件がありますが、結果が出ましたらまたサイト上でご報告したいと考えています。
 そうしたルートで見つからない場合、上記のサイト等を見ていただき、何かヒントや情報を寄せていただくことが重要となります。例えば「日の丸の寄せ書きに書かれているこの珍しい苗字はこの地域に非常に多い」とか「断片的に書かれている地名、組織名に心あたりがある」などなど。そうした情報提供がきっかけで遺族のもとに遺品が届けられた例があります。この記事をお読みになった皆様には是非、お知り合いに上記のようなサイトの存在を知らせていただくと同時に、可能ならばリンクしていただけると幸いです。どのような情報でも、何かありましたら小坂までご連絡下さい。

 小坂はmixiというソーシャル・ネットワーキング・システム(SNS)に加入しています。100万人を超える加入者を有するmixiは会員による招待制が原則で、加入者はそれぞれ規格の統一されたホームページを持ちながら、興味関心事項のコミュニティー(無数にあります)に加入し、相互リンクの仲間を増やし、交流を進めるものです。文字では説明が難しいですが、関心のある方はご連絡下さい。
 そのmixi上で上記のようなことを知っていただき、情報提供の場となればと考え、小坂が管理人となり「英霊の遺品を遺族に返還」コミュニティーを設置しました。100万人を超える登録者のいるmixiで一人でも多くの方にこのコミュに登録していただき、さらに相互リンク相手を通じて多くの方に情報を見ていただけるようになれば、幸いです。mixiに加入されている方、是非、ご協力をお願い致します。

 時間が経過すればするほど、遺品は遺族の元に帰りにくくなります。小さなことでも気付いたことが有れば、情報をまでお寄せ下さい。ちょっとした情報が、遺族発見に繋がるかもしれません。微力ながらできることに積極的に取組んでいきたいと考えています。

★遺品の返還に協力したい、という方はこちらを押して下さい。
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2005年09月22日

意志を貫く個人が成し遂げたこと

 村山常雄さんの偉業にはただただ頭が下がります。強い意志を持ち、取組むことでまわりの協力を得ながらここまでのことを個人で成し遂げたのです。何を成し遂げたかは、まず報道をご覧下さい。

(以下、朝日新聞より引用)シベリア抑留兵4万5千人の名簿、元教師がネット公開
 新潟県糸魚川市の元中学教師・村山常雄さん(79)が、終戦後シベリアに抑留されて亡くなった日本兵約4万5000人の名簿を作成し、インターネットのホームページで公開を始めた。

中略

 シベリアでは約60万人が抑留され、約5万5000人が死亡したと推定される。厚生労働省は1991年からこれまでに約4万人分の名簿を公開したが、旧ソ連の資料を音訳したものが多く、すべてがカタカナ表記で、名前の重複や間違いも多いという。
 村山さんは同省の資料のほか、直接ロシアに出かけて墓碑に刻まれた名前を書き写したり、抑留者や遺族に聞き取ったりして、10年がかりで名簿を集めた。約3万人分は漢字でも表記し、発音上の誤りとみられる名前も修正した。
 今年6月には教え子の協力を得てホームページも開設。五十音順に死者の名前、生年・死亡年月日、階級、収容所、埋葬地などを記してある。
 自身もハバロフスクなどの収容所で約4年間抑留された村山さんは、教職の傍ら、抑留体験記を書き続けたが、名簿を集めようとしたきっかけは1969年のシベリア再訪だった。
 鉄道敷設などの重労働を課せられ、衰弱と飢えで息絶えた何人もの仲間たち。その墓地は草に覆われ、あまりにも粗末に扱われていた。「自分の抑留記を書くより、この人たちのことを書いて弔わなければ」と、心に決めた。

 定年退職後、独学でパソコンを覚えて本格的に取り組み、戦後60年の節目にあたる今年中の完成を目指した。名簿は来年にも自費出版し、全国の主要図書館に送る予定だ。

 村山さんは「戦争で心ならずも亡くなった死者たちに思いをはせ、しのぶ機会になればありがたい」と話し、全国抑留者補償協議会は「漢字にしたことで、遺族が確認できる場合も出てくるはずで、大変貴重だ」と評価している。(以上、引用)

 そのシベリア抑留中名簿はこちら(音が出ます)です。仲間の協力を得ながら、4万6千人近い名簿を重複をチェックしながら纏め上げた村山さんこちらに書いてあるように「蕭条たる原野に、いまなお草蒸す土饅頭の羅列-------。非業の死より半世紀、なおシベリアの地下に囚われけるこの人々を、「名もなき兵士」に終わらせてよいのか」といった一心で取組まれたのです。シベリア抑留中名簿のページの上部から見ることができる関連資料(例えば、こちらのページ)もシベリア抑留について知る貴重なデータだと思います。

 このシベリア抑留についてのロシアとの戦後処理をこちらで指摘されているようにきちんと進めることが、日本政府に課せられた責務だと思います。余り知られていない、また報道も少ないシベリア抑留について知っていただくと同時に、こうしてこつこつと戦友を思い地道に名簿を作成してこられた村山さんのご努力を多くの方に知っていただきたく、ご紹介させていただきました。

☆村山常雄さんの尽力に心から敬意を払う、という方はこちらを押して下さい。
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2005年09月03日

「日露戦争百周年を祝う青年の集い」に参加

 午前中に行われた「荒川区一輪車大会(小学生が177名参加)」を拝見してから、自転車で40分、赤坂で行われた「日露戦争百周年を祝う青年の集い」の趣旨に賛同し、参加して参りました。
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 18歳以上、39歳以下を対象としたこの会に1600名が参加。外交評論家の加瀬英明氏をはじめ多くの方の講演やビデオ放映等、日露戦争の歴史的意義の理解を深められる素晴らしい集いでした。日露戦争の歴史的意義について説明すると長くなってしまいますので、小坂の考えと同じ内容を書いておられるこちらのページをお読みいただきますようお願いいたします。
 荒川区立中学校で来年度から4年間使用する予定の歴史教科書(東京書籍)では、極めて意義の有る日露戦争で活躍された東郷平八郎元帥の名前の記載すら有りません。そのような教科書が教科書検定を通過し、公立中学校で平然と使用される国家は極めて異常な状態に有ると言わざるを得ません。
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 英国では今年はトラファルガーの海戦200周年です。トラファルガーの海戦は、200年前に英国海軍がフランス・スペイン連合艦隊を破り、ナポレオンの英国侵略を阻止、その後1世紀にも及ぶ英国の海上支配を確実にしたことで、英海軍史上最も重要な出来事であり、こちらの記事に掲載されているように、女王陛下臨席のもと、記念行事が国家的に行われています。記念硬貨も発行。一方、日本では、今日の「青年の集い」5月27日に行われた記念式典はいずれも民間主体のもので、国家的に祝うことはされていません。
 国家的に祝わないのは、「日露戦争が有意義だと言ったり、戦争での勝利を国家として祝うなんてとんでもないこと。そんなことをしたら支那、朝鮮半島から日本は軍国主義化しているといった批判を受ける。平和憲法の理念に背く。」といった程度の事勿れ主義、「戦争=悪」という思考停止が原因だと考えています。100年前に明治の先人達がどのような国際環境の中でどのように血の滲むような努力をしてきたのかを忘れた、国家ぐるみの事勿れ主義、思考停止は正に現在の歪んだ政治、社会の有り様を表しています。青年の集いの会場を後にし、「先人への感謝を忘れ、歴史を正面から見つめ直さない歪んだ政治・社会を正すべく、これからも地域で活動していくこと」を靖国神社に赴き英霊に誓ってから荒川区に戻って参りました。

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 日露戦争を詳しく知るために非常に参考になる「日本海海戦と明治人の気概」という書籍をいただきました。じっくりと読ませていただきます。
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 日本海海戦100周年記念ビール、東郷ビール、清酒乃木の誉を飲みながら100年前を再現した食事もいただきました。
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 日本海海戦を再現した大きな模型も展示
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★日露戦争の歴史的意義を多くの人が広く知るべき、とお考えの方はこちらを押して下さい。
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2005年08月15日

私達は忘れない-感謝と祈りと誇りを-

 記事タイトルは靖国神社の資料館である遊就館で見たドキュメント映画の題名です。今の日本が有るのは身を呈して国難に当たり命を落とされた多くの犠牲を生み出した上で成り立っていることを忘れず、感謝の祈りを捧げ、日本人としての誇りを忘れない。まさに今の日本人に求めれられていることが示されている題名だと思います。
 昭和20年の今日、天皇陛下の玉音放送が流されたこの日に靖国神社に参拝して参りました。
 初めての試みで、私のホームページ上で「志を同じくする方、ご一緒に靖国神社を参拝しましょう」と呼びかけをして応えて下さった30名弱(以下、有志と表現)の方々と共に参拝して参りました。
 同時に、「靖国神社を参拝する全国地方議員の会」の一員としても参拝しました。賛同発起人95名、当日参加議員66名でそれぞれの議会名と氏名を書いたのぼりを掲げながら神門手前まで行進し、のぼりをスタッフに返し、拝殿前で一斉に有志の方ともごいっしょに拍手を打ち参拝。チャンネル桜のインタビューを受けた後、有志の方々と昇殿参拝。厳かな雰囲気の中、御神体の鏡の前で英霊に感謝の祈りを捧げ、午後は遊就館の展示をじっくり拝見し、夜は有志の皆様と懇親会。来年も志を同じくする方と参拝をしたいと考えております。

 偶然、境内でシベリア抑留から生還された荒川区の方(知り合い)にお会いしたのですが、その時に「ありがとう、ありがとう!ここには俺の仲間がいっぱ眠っているんだ。本当にありがとう!」と手を固く握り締めておっしゃいました。若い世代に上記の「記事タイトル」に書いたような気持ちをもって欲しいという強い気持ちがひしひしと伝わってきました。その時の表情は決して忘れません。英霊となられた方々に恥ずかしくない生き方をしなければ、と強く心に刻み付けてきた1日でした。

「第19回戦没者追悼国民集会」の会場は満員。大型ビジョンで拝見。
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例年より非常に多くの方が参拝されていました。
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石原都知事の車が通過するのを待つ人々。
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★公に殉じた多くの方の犠牲があって今の日本があり、感謝と祈りと誇りを忘れてはならない!とお考えの方はこちらを押して下さい。
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posted by 小坂英二 at 23:58| Comment(8) | TrackBack(3) | 大東亜戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月01日

ホタル帰る

8月になると毎年、大東亜戦争に関連するテレビ番組や雑誌・新聞で特集記事が目に付くようになりますが、「ホタル帰る」という話を聞いたことが有りますか?
 大東亜戦争末期、特攻隊の基地があった鹿児島の知覧で「特攻の母」と呼ばれた鳥浜トメさんは富屋食堂のおかみさんです。二度と帰ってくることの無い特攻隊員を母の様に見守り、見送っていった・・・。出撃の前夜、宮川三郎軍曹はトメさんに「小母ちゃん、おれ、心残りのことはなんにもないけれど、死んだらまた小母ちゃんのところに帰ってきたい。そうだ、この蛍だ。おれ、この蛍になって帰ってくるよ。」と話します。翌日の夜、食堂に一匹のホタルが入ってきます。遺書を書いていた8人の隊員たちもびっくりして、同期の桜を謳い、ホタルはその歌を聴くかのように天井にずっととまっていた。・・・そうした話を始め、様々な特攻隊員の人間模様が描かれており、涙無しには読めません。書籍映画、劇、漫画など様々な形で紹介されています。そうした方々が残された家族やふるさとを守らなければという一心で、短い命を燃やしていったということを決して忘れてはならないと思います。
 さらに、「ホタル帰る」はオリジナル講談として講談師の宝井梅星さんが「ホタル帰るを聴く会」を開き、今年は8月13日18:30に上野広小路亭で5回目が開催されるそうです。荒川区のお隣の台東区でこうした会が開かれるので、是非、聴きに行きたいのですが小坂は当日は残念ながら会合が入っており都合がつきません。しかし、多くの方に、こうした会が開かれるということを知っていただきたくご紹介させていただきました。
 講談ってどんなもの?という方は宝井梅星さんのホームページの「らいぶ」を押してみて下さい。講談の一部が聞けます。

★日本の行く末を憂いながら短い命を燃焼しつくした方々を忘れず、感謝と敬意を示すべき、とお考えの方はこちらを押して下さい。
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posted by 小坂英二 at 23:52| Comment(24) | TrackBack(5) | 大東亜戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月16日

8月15日の靖国神社参拝

 7月7日の集会(小坂のページの7月7日に参加報告)に続いて、明日、「小泉首相に8月15日の靖国神社参拝を求める東京行進」が行われます。日本の行く末を案じながら戦場で命を落とされた方を偲んで首相が靖国神社を参拝する、そんな当たり前のことに支那や韓国等が影響力拡大、外交上の取引材料として内政干渉を繰り返していますが、「そのような雑音に惑わされず、正道を貫くべき」と総理に求めるこうした行進は意義有るものです。残念ながら17日当日は小坂は地元で予定があるため、参加できませんが、「荒川区議会議員 小坂英二」と書いたノボリ旗だけでも、協力して下さる方に持っていただき、意思表示を明確にさせていただきます。

 8月15日、小坂はもちろん「靖国神社に参拝する全国地方議員の会」の発起人として参拝しますが、小坂のページの7月16日の記事に書いた通り共に参加して下さる方を募集していますので、是非、ご参加下さい!

 以前にもご紹介したものですが、大東亜戦争に関連した3つの動画(音声付)をご紹介しておきます。

真実はどこに・・・」 「人間魚雷回天」  「極東国際軍事裁判

 写真は7月11日にチャンネル桜のスタジオでのテレビ撮影の後、参拝させていただいた靖国神社です。13日から始まるみたま祭りの準備の最中でした。
 

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 「小泉総理の8月15日の靖国神社参拝は当然、支那や韓国の内政干渉には超然とした対応をすべき」と考える方は下のボタンを押して下さい。

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posted by 小坂英二 at 13:37| Comment(12) | TrackBack(7) | 大東亜戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする